今年はオリックスの前身、阪急ブレーブスの名監督だった西本幸雄氏(享年91)の生誕100年にあたる。1967年(昭42)10月1日に球団初優勝、計5度のリーグ制覇に導いた。まな弟子の元近鉄、日本ハム、楽天監督・梨田昌孝氏(67=日刊スポーツ評論家)が思いを披露した。【取材・構成=寺尾博和編集委員】

プロ2年目を終えた1973年オフでした。西本さんが阪急から近鉄監督に就任した直後に球団広報の梶本豊治さんから呼ばれて羽田と2人で球団事務所に行くと、奥から西本さんが出てきた。

突然で緊張したままあいさつすると「お前らがおるから近鉄に来たんや」とおっしゃった。それが西本さんとの初対面です。現役時代に仕えた5人の監督のなかで、もっとも怖い存在でしたね。

ブルペンには現れず、ほとんど打撃ケージ後方で見ていた。そこにいるだけで空気が張り詰めた。高知宿毛キャンプで薄暗くなって選手がボールが見づらいと言い出した。関口打撃コーチが練習を切り上げようとすると、西本さんから「集中力が足りんのや!」とカミナリが落ちて延々と練習が続いた。

阪急を強くした西本さんは、近鉄で打倒阪急に執念を燃やした。捕手のわたしが福本豊さんの足元を狙うと「おっさんが厳しいとこ突け言うとるんやろ」といわれたものです。

球団30年目の79年初優勝から2年連続V。今では考えられない厳しい指導で「今に見返してやる」と思った。でも西本さんだから我慢ができた。この人についていけば勝てる、そう思わせる監督でした。

◆西本幸雄(にしもと・ゆきお)1920年(大9)4月25日、和歌山県生まれ。和歌山中(現・桐蔭)-立大から社会人を経て50年、毎日(現ロッテ)入団。60年に大毎監督に就任し優勝(同年退団)。63~73年阪急監督で5度、74~81年近鉄監督で2度リーグ優勝も日本一はなし。監督通算1384勝(プロ野球6位)1163敗118分け、勝率5割4分3厘。79年正力賞受賞。88年殿堂入り。11年11月25日、91歳で死去。