阪神が、シリーズ史上初の濃霧コールドで大敗した。ロッテのエース清水に5安打1得点に抑え込まれ、対照的に虎のエース井川は2被弾を含む10安打5失点と打ち込まれた。ロッテはプレーオフ第2ステージで土壇場からよみがえり、その勢いのまま決戦に臨んできた。一方の阪神はシーズン終了後、17日間も実戦から遠ざかり、打撃面での影響が懸念されていた。岡田監督の不安は的中し、打開策を見つける間もなく、濃霧の中にのみ込まれた。

最後の最後まで試合続行を信じたが、霧は晴れてくれなかった。必勝を期した日本シリーズ初戦。34分間の中断の末、岡田監督は三塁側ベンチで史上初となる「濃霧コールド」の宣告を聞いた。エース井川が打ち込まれるなど1−10の大敗。勝敗の行方が決していたとはいえ、残り2回の攻撃を残したことに悔いが残っていた。「霧? しょうがないやろ。でも野手は慣らす意味で、もう1回打席に立たせたかった。終わり方がスッキリせんよな」。

打線は、6月の交流戦で4回で6点を奪った清水の前に、7回5安打1得点と沈黙。キーマン赤星をはじめ、金本や今岡ら主力がほとんど自分のスイングができなかった。公式戦終了後、16日間も実戦がないブランクで打撃の狂いは明らかだった。岡田監督も「清水はよかったよ。でもそれよりバットが出んかったからな。最初のストライクを簡単に見送ったり、全然タイミングが合ってなかった。打つ方は心配してた通りになったよ」と認めた。

意気込んで挑んだ第1戦だった。千葉・幕張の宿舎出発前には、今季開幕前に続く2度目の出陣式を招集。ナインの前で指揮官は訓示した。「10月のこの時期に、野球できるはウチとロッテだけやぞ。でもこの舞台に出られるようにしたのはみんなの力や。ガチガチになることはない。楽しんでやったらエエ。グラウンドに出たら、思いっきり暴れろ」。

「1番赤星…」と自らスタメンを読み上げ、選手1人1人と握手。コーチ、裏方さん全員とも握手やハイタッチを交わした。「よっしゃー、行くぞ!」「勝つんは、おれらや!」。必勝ムードを漂わせて球場入りした。だが現実は甘くなかった。第2戦では交流戦で苦戦した下手投げ渡辺俊が立ちはだかってくる。「7試合しかないんや。打てなかったことを引きずらんように切り替えていくしかない。明日は先制できるように…。それだけや」。

ここ10年、シリーズ初戦を落としたチームが日本一に輝いたのは00年長嶋巨人の1回しかない。果たして天の神様が与えた試練に打ち勝つことができるのか。岡田阪神がいきなり正念場を迎えた。【松井清員】

 

阪神牧田球団社長 試合再開が難しいと審判団が判断されたから(コールドは)仕方がない。僅差とか大差という状況は関係なく判断に従うだけです。引きずるような1敗ではないし、明日からやり返すことを期待しています。

 

〇…日本シリーズ第1戦は史上初となる濃霧での中断のあと、回復の見込みがないとしてコールドゲームとなった。7回裏1死後、審判団が集まり、濃さを増すばかりの霧に関して協議。その直前に、ベニーの本塁打が飛び出したが、中村稔球審は「打球が見えない」と判断、線審2人からも「打球の当たるポイントが見えない」の声があり、午後8時31分に中断を決めた。

この中断を受け、試合管理人であるNPBでは千葉マリン球場付近の気象情報をウエザーニュースなどで確認した。「9時時点の情報で、2時間後(11時)になっても、この状態は続く」の報告があり、これを中村球審に伝えた。試合開始後は、一時停止、再開等決定の権限はすべて球審に与えられており、最終的に中村球審が「2時間この状態が続くなら再開できない」として、34分間の中断を経た9時5分に終了を告げた。

濃霧も雨と同じ気象条件であるとし、野球規則(別項)は30分を経過するまでは打ち切りを命じてはならないとしている。霧が濃くなり始めた7回表の時点では、同球審も「とことんやる」と続行の姿勢だった。しかし、打球の行方は確認しづらくなり、回復の見込みもないとなって打ち切りを決めた。日本シリーズは交流戦と同様サスペンデッドは採用しておらず、コールドゲームとなった。

思いもしない試合終了。ロッテ関係者は「この時期に、ここ(千葉マリン)でナイターはやったことがない。明日(23日)も心配です」と話していた。【米谷輝昭】

 

◆濃霧コールドゲーム 公式戦で過去4度あり、最近では00年5月9日のオリックス-近鉄戦(米子)の5回裏、球場全体が濃霧に覆われ試合続行不可能になって以来。日本シリーズでは53年巨人-南海<3>戦(後楽園)が8回終了降雨コールドで2-2の引き分けになったことがあるが、濃霧によるコールドゲームは初めて。