ロッテ佐々木朗希投手(19)が、27日のセパ交流戦・阪神戦(甲子園)に先発する。最速163キロ右腕として注目されるスター候補が、プロ2年目の春に初めての聖地へ。岩手・大船渡高時代はあと1勝で届かなかった「甲子園への道」を3回に分けて振り返る。今回は後編。

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夏の岩手大会は、7月21日の4回戦から岩手県営野球場(盛岡市)に舞台が移った。かつては花巻東・大谷翔平投手が160キロをマークした。球場の設備担当者も「スピードガンの調子は万全です」と、ひそかに大台を心待ちにした。

トーナメント決定時から、この4回戦・盛岡四戦が1つのヤマ場とみられていた。投打にレベルが高く、春の県大会では準優勝している。先発した佐々木は初回こそ粘られながら3者凡退にするも、2回、3回と続けて連打を浴びた。それでも完投を意識しながら、球速は極力セーブした。

4回に今野聡太一塁手(3年)が守備中に負傷交代するアクシデントもありながら、佐々木は奮闘。6回に熊谷温人外野手(3年)の適時打などで2点を先制し、試合は終盤へ。8回2死、相手の3番打者に投じた3球目の外角直球が160キロをマーク(判定はボール)。球場中がどよめき、大きな拍手が起きた。

2-0のまま9回へ。しかし佐々木は四球、二塁打でピンチを作り、6番打者にフルカウントからの159キロをはじき返された。同点とされ、その後さらに2死満塁。絶体絶命に追い詰められながら、何とかしのいだ。延長12回には自身が右翼席へ2ランを放ち決着をつけた。194球完投で、校歌を歌いながら号泣。試合後は涙をぬぐうと「さぁ、切り替えよう」と笑い、仲間を盛り上げた。

翌22日の準々決勝・久慈戦は出場しなかった。「朗希をもう1度マウンドへ」と仲間たちが奮闘し、延長11回の激闘を制した。勝利の瞬間、佐々木はベンチからガッツポーズで飛び出した。24日の準決勝・一関工戦は129球で15奪三振の完封勝利。157キロもマークし、危なげない投球で決勝進出を決めた。

7月25日、運命の日。朝の練習で、ホワイトボードにあったスタメンにチームがざわついた。先発は佐々木ではなかった。打者出場でもなかった。作新学院(栃木)や仙台育英(宮城)との練習試合でも好投した実績があるサイド右腕の柴田貴広投手(3年)が、花巻東との決勝戦の先発に抜てきされた。しかし、のみ込まれた。打線も粘ったが追いつけなかった。出場のなかった佐々木は花巻東の歓喜を、ベンチ後列から目を赤くして見届けた。

試合後、国保監督は「故障を防ぐためです」と説明した。「未来があるので。甲子園はもちろん素晴らしい舞台で、勝てば待っているのは分かっていたのですが、3年間朗希を見てきて、これは壊れる可能性が高いのかなと私には決断できました。佐々木朗希が投げなくても勝利を目指せると思いましたが(相手の)守備で封じられてしまった」とコメント。「とても大きな決断。一生心に残る決断。そこは大人が、と思いました」と明かした。

佐々木は決勝戦後に「高校野球をやっている以上、試合に出たい、投げたい、というのはありました。甲子園は遠かったなと思います。行けなかったことは残念です」と気丈に話した。「負けたことに悔いはある。自分が投げたから勝てたというわけじゃない。自分がここまで成長できた仲間に感謝です」とした。

まさかの結末を迎えた夏から約1年10カ月。球友たちの思いも背負いながら、千葉ロッテマリーンズの投手として、甲子園のマウンドに立つ。【金子真仁】