西武は7日、松坂大輔投手(40)が今季限りで現役引退することを発表した。ここ2年は、昨年7月に受けた脊椎内視鏡頸椎(けいつい)手術の影響で1軍、2軍ともに登板ゼロ。手のしびれを訴えるなど、心身ともにコンディション不良に見舞われた。引退決断の背景には、コロナ禍に奪われたまぼろしの復帰登板があった。栄光と挫折の連続だった23年間に及ぶプロ生活をスタートさせた西武で、シーズン半ばに自らピリオドを打った。

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プロ野球界をけん引した怪物右腕は、言葉なきままユニホームを脱ぐ。松坂が不在の中、今季限りの引退を西武が発表。会見は未定で、本人のコメントはなし。代わりに渡辺GMが「このような決断に至り、本人も大変悔しい思いをしています」と代弁した。ここ2年は心身のコンディション不良で登板はなかった。「大輔は現在、体調面、精神面でも決して万全とは言えない状況」と説明。5日に引退の意思を伝えられた。苦しんだ末、松坂自身が下した決断を尊重した。

栄光と挫折の繰り返しだった。15年に日本球界復帰後は、けがとの闘いだったが、コロナ禍がさらに拍車を掛けた。06年以来の古巣復帰となった昨季、春季キャンプ1軍スタート。ブルペン、シート打撃、オープン戦と「いい感じでこられている」と順調に段階を踏んだ。

20年、当初予定していた開幕カード3戦目の3月22日、日本ハム戦(メットライフドーム)での先発が内定。14年ぶりに西武のユニホームを着てかつての本拠地で登板、そして勝利-。思い描いた復帰プランだった。だがコロナ禍による開幕延期によって突如白紙。歯車が狂った。

同3月下旬、コンディション目的で左膝に注射。さらに自粛期間中の同5月以降、手のしびれが悪化した。セカンドオピニオンを聞くため病院を回った。神経系の手術とありリスクはあったが、同7月5日に茨城県内の病院で、脊椎内視鏡頸椎(けいつい)手術を受けた。術後も状態は復調しないまま、吐き気に見舞われることもあったという。本拠地でのシーズン最終戦に姿を見せ、辻監督に「(力になれなくて)すいません」と頭を下げた。2年目の今季は2軍キャンプでブルペン投球もできず、打撃練習で汗を流した。

数々の栄光と隣り合わせに「引退」の2文字が同居していた。メジャー時代の11年トミー・ジョン手術、17年に右肩にメスを入れた。そのたびに「なかなか状態が上がらないことを含め、野球を続けるのはきつかった。好きなことやらせてもらって幸せなんだけど、思うように投げられない時期が自分の予想より長くて、やめたら楽になるなと何度も思ったことはあった」と引退を意識。それでも「けがしたまま終わりたくない。もうちょいしっかり投げられるようになりたい。そして、自分は野球が好きだ」と奮い立たせた。

打撃には自信を持ち「日本に戻ってから野手転向を本気で考えた。(ソフトバンク)ホークスでファームのコーチに相談したこともある」と“バッター松坂”での現役続行を視野に入れたこともあった。

勝って笑い、負けてもなお「リベンジ」と言って「自信を確信に変えた」、野球人生。近年は大好きな野球ができず、誰よりももがき苦しんだのは松坂自身だった。栄光と挫折の両面で注目を浴びた希代のスーパースター。自らの口でユニホームを脱ぐ理由を語る時まで、今は心身の回復に努める。【栗田成芳】