西武栗山巧外野手(38)が、通算2000安打を決めた。西武では球団初となる生え抜きでの達成。小学校時代の栗山少年との思い出を、小寺少年団野球部の当時部長だった牧野栄一さん(79)が語った。

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栗山が小学1年生のとき入団した小寺少年団野球部の当時部長だった牧野さんが、“原型”をつくった恩師だった。小学1年時、入団したいと母親と一緒に練習場にやってきた。試合は4年生から。「それでもいいか? って聞いたら、『かまへん』っていうから。そっからや」。脚力があって、蹴る力があると見込んだ。5年生のとき「右手が強くて体が開いてしまう。だから右投げ左打ちにさせたんです」と転向を薦めた。

練習量を増やすため、小寺小学校の校長に直談判し場所を確保。小学校のグラウンドで、平日は毎日ティー打撃の練習に付き添った。小学5年のとき、冬休みもやるかと聞くと、11歳の栗山は「1月1日もやりましょう!」。年始の恒例行事になった。2人の関係はプロ入り後も続いた。オフは必ず小学校のグラウンドで振り込み新年を迎えた。雨天決行。積雪の年は雪かきしてまで振り込んだ。牧野さんは振った数だけ、グラウンドに「正」の字を書いた。

小学5年から17年まで20年以上続き、まさに栗山の原点。同小学校には今も栗山が寄付した倉庫がある。「『一年の計は元旦にあり』っていうじゃないですか。その言葉を知ってたんかな? いつか巧君が言ってくれはった。『おかげさまでバットを振っていたことで、ヘッドスピードが身につきました』って。うれしかったよね」。その言葉に報われた。

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