西武栗山巧外野手(38)が、通算2000安打を決めた。西武では球団初となる生え抜きでの達成。2軍投手コーチ、1軍監督、そしてGMとして栗山と接してきた渡辺久信GM(56)が、2人の思い出を振り返った。

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監督が投げて、選手が打つ。試合後の光景としては、異例の組み合わせだった。それでも09年、当時監督2年目だった渡辺GMが打撃投手を務め、栗山が打つ室内練習場の風景は、日常の一部だった。オープン戦で打率4割を超えた栗山が、開幕と同時に急ブレーキを踏んだ。「開幕戦でロッテの清水のカットボールにドン詰まって、そこからおかしくなって打てなくなった」と同GM。レギュラーの栗山がまったく打てなくなった。

「20打席以上ゼロ(安打)で死にそうな顔していたんでね、試合後室内に連れて行って、そこで2軍時代を思い出させる形で、小1時間ばかりバッピ(打撃投手)をしたのよ。楽しくね」。04年から2軍投手コーチとして復帰した同GMにとって、それは2軍時代の日常だった。「悲壮感はないよ。きっかけがあれば、また打つと思っていた。そのきっかけ作りに、ちょっと遊ぼうかって感じ」。向かい合ったそのときだけは、監督と選手という関係がリセットされた。開幕連続無安打は26打席でストップ。最終的には最多安打の前年に続いて150安打を超えた。

同GMは08年に監督に就任。栗山が、1軍にはい上がりレギュラーをつかんだ時期と重なる。1番片岡の後ろ2番に据え、最多安打のタイトルを獲得。「打てる2番がいいな、っていうところで、片岡は盗塁できるので、初回簡単に送る野球もおもしろくない。そこでクリがすごいと思ったのは、打ちたい球を我慢して片岡が走るのを待っていた。追い込まれてからの勝負で最多安打を取ったのはすごい」。栗山はこの年、初めて規定打席に到達。日本一の1、2番になった。

昨オフは3年契約で生え抜き初の快挙を後押し。「2軍時代っていろんなことを自分でやらないといけない。クリもそこからのし上がってきた。一緒に上がってきたようなもんだからね。同志みたいなもんだよ」。GMと選手になっても、その関係は変わらない。

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