阪神岩田稔投手(37)が1日、兵庫・西宮市内のホテルで現役引退を表明した。1型糖尿病と闘いながら、縦じま一筋16年間で60勝。長年にわたって先発ローテを支えるだけでなく、同病患者の「希望の星」となった。会見ではあふれ出る感情をこらえきれず号泣。家族の支えに感謝した。

 

せきを切ったように、両目に涙があふれ出た。一番最初に現役引退を報告した相手を問われ、愛妻と1男2女の顔が浮かんだ。

「妻です。そして、大切な家族に…」

岩田稔はそのまま25秒間、むせび泣いた。「はい、と…」。1度は震える言葉を振り絞ったが、続かない。再び24秒間おえつした。

1軍登板5試合に終わった直後の昨年12月、減額制限を超える年俸を提示された。まだ1年チャンスをくれる球団に感謝した。一方で、その日の夜は想像を絶する不安にも襲われた。

「税金、大丈夫かな」「来年はもうダメかな」

気づけば、一睡もできずに朝を迎えていた。一家のあるじとして責任を抱え込んでいた時、家族はあえて苦境を笑い飛ばしてくれた。

「そんなに気になるなら、私が言ってあげるわ。岩田、阪神クビ~!」

美佳夫人は夫に向けて刀で切るポーズを決めて、腹の底から笑わせてくれた。

「父ちゃん、もう野球辞めんの?」

中学生になった長男の輝大はそれがどうしたと言わんばかりに、いつだって冗談めかしてくれた。

「多分、子供同士でそんなことを言われているんやろな。気を使わせてしまって…。頑張らな、な」

もちろん、明るく振る舞ってくれる真意には気づいていた。もう1度、踏ん張りたかった。だが、もう心がついてこなかった。

背水の覚悟で臨んだ21年。1月に新型コロナウイルス感染で出遅れた後、自身の変化に気づいた。

「昔ほど燃えてくるようなモノがなくなっている」

今季の1軍登板はわずか3試合。球団の来季構想から外れ、覚悟を決めた。

「自分の気持ちに負けた。この気持ちで、タイガースのユニホームを着てプレーしているのは失礼」

虎の一員としてユニホームを脱ぐ道を選んだ。

大阪で生まれ、大阪桐蔭から関大を経て関西の名門球団で走り抜いた。1型糖尿病と闘いながらプロ16年間で60勝。悔いはない。

「やり切りました。縦じまのユニホームを着られて、本当に幸せでした。長いことできたのも、家族の存在があったからです」

父ちゃんは最後、とめどなくこぼれ落ちる涙の1粒1粒に、万感の感謝を込めた。【佐井陽介】

◆岩田稔(いわた・みのる)1983年(昭58)10月31日、大阪府生まれ。大阪桐蔭-関大を経て、05年大学・社会人ドラフト希望枠で阪神入団。06年10月に1軍デビュー。3年目の08年に初勝利を含む10勝を挙げるなど、1型糖尿病を抱えながら先発投手として活躍。09年WBC日本代表。今季は7月に3試合に救援登板した。179センチ、97キロ。左投げ左打ち。