オリックスT-岡田外野手(33)が、かつてのメイン本拠地に日本一の恩返しを約束した。オリックスは前日12日、ロッテとのクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第3戦の“サヨナラドロー”で日本シリーズ進出を決めた。T-岡田は近鉄との球団合併後の06年入団だが、当時は神戸も本拠地だった。神戸を本拠としたブルーウェーブ時代から変わらず応援を続けるファンを思い、シリーズ制覇へ気持ちを高めた。

京セラドーム大阪でのファイナル突破で大阪のファンを喜ばせた。日本一は神戸の番。東京ドームでの第5戦までで決着がつかなければ、第6、7戦はほっともっと神戸が舞台になる。

95年1月の阪神・淡路大震災で傷ついた神戸に、オリックスは優勝で明るい話題をもたらした。T-岡田は「もともとは(球団の本拠地は)神戸。今は大阪に本拠地がありますけど、近鉄と合併して今がある。ブルーウェーブの時代から応援してくれている人、オリックスバファローズになっても応援してくれている人がいる。そういう人たちの前で日本一になりたい思いはあります」と神戸での感動再現への意欲も力にする。

95、96年の連覇時の中心選手で神戸からメジャーに巣立った田口外野守備走塁コーチは、思い入れはひとしお。「自分を育ててくれた町。プロとしての人生が始まった場所でもあります。(神戸で勝ちたい)思いは強く持っています」。日常を取り戻す歩みの中、観戦してくれたファンの笑顔を今も忘れない。相手は95年の頂上決戦で敗れたヤクルトになり「何かの巡り合わせなんでしょうね」とつぶやいた。運命の再戦が、幕を開ける。【堀まどか】

◆オリックス本拠地メモ 91~04年は神戸を本拠地としていたが、05年に近鉄と合併して05~07年は大阪と神戸、08年以降は大阪が本拠地に。05、06年は大阪34試合、神戸が05年32試合、06年34試合と最初の2年はほぼ同数だったが、神戸は07年から20試合台、11年から10試合台に減り、昨年は大阪57試合、神戸3試合、今年は大阪66試合、神戸6試合だった。

<95年の日本シリーズ>

当時、ヤクルト高津監督が抑え投手、オリックス中嶋監督が捕手で出場。ヤクルト野村監督、オリックス仰木監督という名将が激突し、イチローと、名捕手古田との勝負も注目を集めた。グリーンスタジアム神戸(現ほっともっと神戸)で開幕し、ヤクルトが敵地で連勝発進。神宮での第3戦は延長10回にヤクルト池山がサヨナラ3ラン。第4戦は延長12回にD・Jの決勝ソロでオリックスが競り勝った。第5戦は1回にイチローが先制ソロを放ったが、ヤクルトが2回に逆転。高津が9回を締め、4勝1敗でヤクルトが2年ぶりの頂点をつかんだ。

<96年の日本シリーズ>

▼この年の本拠地グリーンスタジアム神戸(現ほっともっと神戸)はアツかった。リーグ優勝をかけた9月23日の日本ハム戦は1点を追う9回2死無走者から代打D・Jが起死回生の同点アーチ。延長10回無死一塁からイチローが左翼線へ二塁打。野手が打球の処理にもたつく間に、一塁走者の大島が一気に生還。イチローのプロ初のサヨナラ打で2年連続リーグ制覇を決めた。優勝決定をサヨナラで決めたのはパ・リーグ初。4万人の観衆が前年果たせなかった地元Vに沸いた。

▼松井、落合を擁する巨人との日本シリーズは、まず敵地東京ドームで2連勝。神戸に舞台を移した3戦目も快勝し王手をかけた。4戦目黒星の後、5戦目は先制された直後の3回に斎藤雅から一挙5点を奪い逆転。先発星野から伊藤、野村とつなぎ、最後は鈴木が仁志を左飛に打ち取って地元神戸で頂点に立った。前年、ヤクルトに苦杯を喫したリベンジを果たし、3万3222人のファンが見守る中、仰木監督が5度、宙を舞った。MVPは5戦6打点の4番ニール。