東都大学リーグ4年生の進路がほぼ出そろった。国学院大で学生コーチを務めていた糸数昌平捕手(4年=京都外大西)は父、伯母と同じ神道の道を歩むため、鶴岡八幡宮へ就職する。参拝者に寄り添いながら勉強を重ね、宮司を目指す。

真っ白の装束がひときわ映える。「物心がついたころから、将来は宮司になると思っていました」。大阪天満宮で権禰宜(ごんねぎ)と呼ばれる職員として働く父と、大阪市内の神社で宮司を務める伯母の影響で、神社は身近な存在だった。幼いころは境内で遊び、正月に神社でアルバイトをした経験もある。国学院大神道文化学科に進学したのは、野球に打ち込みながら、将来を見据えて神道も学べるからだった。

鶴岡八幡宮は、平安時代に創建された歴史ある神社。「大きい神社なので、自分が成長するにはいいと思いました」。卒業後の進路をあらためて考えた時、「1度は違う世界を見てみたい」という思いも頭をもたげた。しかし、父からの「宮司になるのなら、早めに神社の実務を3年間経験して『明階』という位を取得した方がいい」という言葉に、覚悟は固まった。

国学院大では2年から学生コーチ兼ブルペンキャッチャーとしてチームを支えた。選手の言葉に耳を傾け、練習にはとことん付き合った。今春、大学選手権出場を決めると、投手陣が鳥山監督に「糸数をベンチに入れてほしい」と直訴。リーグ戦は選手枠でベンチ入りし、ブルペンからチームの春、秋連覇に貢献した。

来春からは、参拝者の声に耳を傾ける。「学生コーチを経験して、野球だけでなく礼儀や人との接し方も学べた。これからは参拝者さんと接する時も自然にできる。常に参拝者さんの心に寄り添っていきたい」。いつも相手の目を真っすぐ見て話す姿は、これからも変わらない。【保坂淑子】

◆糸数昌平(いとかず・しょうへい)1999年(平11)7月14日生まれ、京都府出身。滝川子供会で野球を始め、大阪西ボーイズから京都外大西へ進む。国学院大では2年から学生コーチ兼ブルペンキャッチャー。リーグ戦出場はなし。166センチ、74キロ。右投げ左打ち。

◆鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう) 神奈川県鎌倉市にあり、創建は1063年(康平6)頃と伝わる。鎌倉幕府を築いた源頼朝の祖先・源頼義が、京都の石清水八幡宮を勧請(神の分霊を他の地に移すこと)したのが始まり。その後、頼朝が現在の場所に移転させた。武運の神「八幡神」をまつり、国宝や重要文化財を多数収蔵する。