「野球をやめたいと思ったことがない。小さい時から50歳まで同じ気持ちで野球をやれたことがよかった」

山本昌さんは引退の時にそう語っていた。小さな努力を飽きることなく繰り返し、日本最長のプロ32年、50歳現役という金字塔を打ち立てた。

自らが言うように「平凡な選手」だった。クビの危機にあった若手時代、留学先のドジャースでスクリューボールを覚えて起死回生。運命を変えた「幸運な」エピソードとして語られるが、この特殊球を操るには人並み外れた努力が必要だった。さらには、配球の対をなす直球の質も不可欠になる。

ドジャース会長補佐だった恩師・アイク生原氏からの教えがあった。「リリースポイントを前にしろ」。言うほど簡単ではない。足腰の強さが必要になるからだ。打者に近い位置でボールを離し、鋭いスピンをかける。「160キロに見える」と打者に言わせた130キロ台の直球こそ、継続した努力の結晶であり、真骨頂かもしれない。

最後の5年間は、ラジコンやクワガタ飼育といった趣味も控え、ますます野球に没頭した。増え続ける練習のルーティンを黙々こなし、50歳まで休まず続けた。岩瀬仁紀、吉見一起、大野雄大ら歴代の中日投手陣に「基礎はランニング」というレガシーを残した。

現役最後の日もいつものように、玄関に置いた恩人・アイクさんの写真に手を合わせて自宅を出た。「本当に恩師ばかりです。たくさんの人に支えられた」。どこまでも謙虚な努力家だが、一流選手にはめずらしく「僕は投げること以外は全くの素人なんですよ」と照れ笑い。裏を返せば、こと投球に関しては誰よりもやり切った自負だろう。

名言の多さでも知られるが、現役生活を振り返った「悔いはあるけど、後悔はない」は印象的だ。継続を大事にした山本さんの野球人生を端的に表していると思う。【柏原誠】

◆山本昌(やまもと・まさ) 本名・山本昌広(やまもと・まさひろ)。1965年(昭40)8月11日生まれ、神奈川県茅ケ崎市出身。日大藤沢から83年ドラフト5位で中日入団。最多勝3度、最優秀防御率1度、最多奪三振1度、ベストナイン2度。94年沢村賞。06年に史上最年長の41歳で無安打無得点。08年通算200勝。15年にプロ野球史上初の50歳での登板、出場を果たし、同年に現役引退。49歳で勝利、45歳での完投、完封といった年長記録のほか、実働29年、23年連続勝利もプロ野球タイ記録。通算219勝は球団史上最多。95年までの登録名は「山本昌広」。現在は野球評論家。左投げ左打ち。