背番号55。日本の野球人にとって、大いなる頂を表す番号。王貞治がシーズン55本塁打を放った64年以降、王超えを目標に松井秀喜ら多くのスラッガーが、この畏敬の数字を背負ってきた。村上宗隆も、またその1人だった。村上が記録を更新すれば、また新たな数字が頂点の象徴となるかもしれない。背番号55を担った男たちの物語に、1つの節目が刻まれた。

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西武嶋重宣2軍野手コーチ(46)にとって、広島時代の背番号「55」は譲る形で背負った番号だった。03年までは「00」。それを球団はドラフト4位で入団してきた尾形佳紀(現広島スカウト)に与えることになり、変更を伝えられた。

03年は1軍出場はわずか2試合。それがゴジラこと当時巨人の松井秀喜と同じ55に。自ら望んだ形ではなかったとはいえ、新しい番号は「うれしかった」。

背負う数字が変わると、新たなニックネームもついた。春季キャンプやオープン戦で結果を出し始めると、「赤ゴジラ」と呼ばれるようになった。「成績を残してもないのに恐れ多い」というのが正直な心境。同時に背筋が伸びる思いもあった。「(松井を)意識はしますよね。それに見合うような選手になりたいという思いもありました。その番号に恥じない活躍をしないといけないというか」。04年は打率3割3分7厘で首位打者を獲得した。信じられない飛躍を遂げた。

時代を象徴する強打者に受け継がれる55。「僕ら世代の55番は松井秀喜さん。若い世代は村上選手をイメージするんじゃないですかね。そういうふうに脈々と55が継承されていく。かっこよさはありますね」。そう思いを込めた。【上田悠太】

◆嶋重宣(しま・しげのぶ)1976年(昭51)6月16日生まれ、埼玉県出身。東北高から94年ドラフト2位で広島入団。04年に投手から野手に転向し、同年首位打者、最多安打。12年トレードで西武移籍。13年引退。14年から西武でコーチを務め、現在はファーム野手コーチ。181センチ、100キロ。左投げ左打ち。