ロッテのレオネス・マーティン外野手(34)が、12月2日に発表された来季の保留選手名簿から外れた。今季まで付けた背番号79は、松永育成投手コーチが付けることが発表済み。マーティンはこのまま退団することが決定的だ。

19年途中に入団し、約3年半で通算340試合に出場し75本塁打、204打点。今季は不調に苦しみ、68試合で打率1割6分3厘、9本塁打。家庭の事情で8月末に一時帰国し、再来日はなかった。

助っ人ながら時にリーダーの役割を果たした。それだけにチームへの影響力は小さくなかった。今年8月23日の西武戦(ZOZOマリン)、帰国前の最終打席がそのまま、チームの「5位」を物語っているシーンに見えた。

その日、井口監督はマーティンを7番右翼でスタメン起用した。第3打席まで西武高橋光成に遊飛、見逃し三振、空振り三振。チームは再び黒星が増え始め、負ければ8月中だけで3度目の3連敗…という状況だった。試合は1点を追う展開で8回1死二塁、マーティンの第4打席が回ってきた。西武ベンチが動く。スミスから、変則左腕の公文にスイッチした。

ロッテベンチは-。右の代打を出してもおかしくない状況だ。井口監督と森脇ヘッドコーチが何やら話す。マーティンはその様子をチラッと見つつ、あとはずっと背中を向けたまま。福浦打撃コーチが最後にひと声かけ、マーティンは何やら返し、そのまま打席へ向かった。その間、2分40秒。

マーティンはまるでタイミングが合わず、最後はスライダーで空振り三振だった。前打席では悔しそうにベンチ裏に引っ込んだ助っ人は力なく、20秒かけてベンチの自席へ歩いていった。その5日後、帰国が発表された。

ロッテは井口監督が就任後、2億円規模をかけてチーム戦略部を新設した。蓄積したデータをもとに、試合前には全体、個別で相手先発投手を研究。時には「四球=安打」の概念も持ちながら、チームとしての攻め方を徹底してきた。

ベンチにもそのデータを持つスコアラーが毎試合、入っている。投手交代があれば、次打者に何やらアドバイスをする様子が、日常光景のように見られた。

前述の8月23日、マーティンの最終打席。助っ人は約1年、公文との対戦がなかった。変則左腕にスライダーを警戒するのは当然のことながら「一打逆転のチャンスでの左対左、久々の対決」となれば、データも好結果への一助になるのではないだろうか。

しかし、この2分40秒の間に、マーティンとスコアラーまたはコーチが交わる機会は、なかった。投球練習にタイミングを合わせた何度かの素振りのみで、あっけなく三振した。そのころからベンチ内での戦術決定→決定→指示にスムーズさを欠いている、という声が漏れ聞こえていた。直後に打席に立ったレアードはスコアラーからレクチャーを受けていた。ベンチの空気の乱れ。もちろん、長いシーズン、いろいろうまくいかない時期だってある。ただ、もう致命的な時期だった。優勝は遠い、Aクラスも苦しい-。一連の動きを凝視しながら、そう痛感した数分間だった。

マーティンはチームリーダーであり、ムードメーカーでもあった。投手が苦しんでいる時、右翼席のロッテファンに激励の手拍子をあおる場面もあった。21年には優勝争いの最中、小島がオリックス戦で手痛い1発を浴びた。「少し話そうよ」と誘い「君はずっと活躍してるんだ。1度打たれたショックで落ち込んじゃいけないよ」と励ました。

20年にロッテ担当になった。開幕前に何試合かを取材し、ロッテのキーマンはマーティンだと判断した。右翼守備から戻ってきたマーティンを、ベンチの若手たちが割とおおげさに盛り上げていた。乗らせようとしている、とも見えた。レアードに対するスマートなそれとは、明らかに違っていた。

2位、2位、5位。他チームのように突出した打力を誇る日本人打者が不在で、助っ人の成績に左右される環境だった。極めて大きい存在だからこそ、繊細な一面も持つマーティンの深刻な表情が痛かった。球団は27日、新外国人野手として前巨人ポランコの獲得を発表。吉井新政権で、助っ人勢が働きやすく、かつチーム方針に沿って活躍できる環境の再整備が求められる。

マーティンが自身のSNSで「I MISS YOU」とロッテ選手やファンに投げかけているのが、どこか切ない。【金子真仁】

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