阪神からポスティング制度を使用してメジャー挑戦を目指した藤浪晋太郎投手(28)はなぜ、移籍先にアスレチックスを選んだのか? 虎番時代から長年取材を続ける記者が、決断までの背景を解説した。

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大リーグ挑戦希望が公になって間もない頃、藤浪が苦笑いでポツリつぶやいたことがあった。

「正直に言えば、アメリカではメディアも含めてそこまで騒がれないチームで、静かに落ち着いて野球をしてみたいんですよね」

どこか冗談めかした口調の中に、うそ偽りのない本音が詰まっていた。

本人が望もうと望むまいと、大阪桐蔭時代からスター街道を突き進んだ。甲子園春夏制覇を達成し、12球団屈指の注目度を誇る阪神にドラフト1位入団。高卒1年目から3年連続2ケタ勝利をあげれば、それも仕方がない。誰の目にも次代の球界を担うエース候補だったから余計に、絶不調に悩んだ数年も放っておいてはもらえなかった。

本来は時に無防備なほど人を楽しませ、喜ばせるのが大好きな大阪人。インタビュー終わりに「今の話で太い見出し取れますか? 大丈夫でしたか?」と真面目に心配してしまうタイプだ。常に大量のメディアが集結し(もちろん自分もその1人)、一挙手一投足に熱視線を浴び続ける甲子園。いつだって周囲を気遣える性格の選手にとっては、野球に集中することだけを考えれば、決して楽な環境ではなかっただろう。

大リーグ球団との交渉中、藤浪が移籍先選びの中で重視したポイントは3点あったように感じる。

日本人が多く、比較的暮らしやすい気候の西海岸。先発の可能性が1%でも高いチーム。そして、黙々と野球に打ち込める環境。

この3要素を鑑みれば、西海岸に位置し、再建モードの真っただ中で、ヤンキースやドジャース、レッドソックス、カブスのようなメガクラブではないア軍は、全30球団の中でも限りなくベストチョイスに近いのではないだろうか。

交渉期間の終盤、移籍先はア軍、ダイヤモンドバックス、ジャイアンツの3チームに絞られていたとみられる。ダ軍、ジ軍は藤浪をリリーバーとして高く評価。一方のア軍は先発ローテ候補として注目していた。

まだメディカルチェックの前ではあるが、現時点で年俸4億円超の1年契約を結ぶ見込み。では金額を最重視したのかといえば、そうではない気がする。<1>西海岸<2>先発チャンス<3>野球に打ち込める環境。アスレチックス移籍の背景に、3つの要素が見え隠れした。【野球デスク 佐井陽介】

◆甲子園とメジャーで対戦 藤浪は大阪桐蔭時代の12年センバツで花巻東・大谷と投げ合った。高校時代に甲子園で対戦した選手同士が、大リーグで先発対決や投打で対決をすれば初めてになる。日本人大リーガーは過去65人がプレー。このうち35人に甲子園登録メンバーの経験がある。甲子園とメジャーの両方で唯一対戦があった組み合わせは、佐々木主浩と長谷川滋利。85年夏に東北・佐々木が東洋大姫路の代打長谷川から空振り三振を奪った。メジャーでは佐々木がマリナーズ、長谷川がエンゼルスで00、01年に計5試合、同じ試合で投げたが、ともに救援登板だった。

◆藤浪メジャー挑戦までの経緯

21年12月8日 6年連続減俸で契約更改。「エゴ」と表現してまで先発一本勝負を宣言した日、球団側に翌年オフのメジャー挑戦希望を伝える。

22年9月27日 オフにポスティング制度を使用して大リーグ移籍を目指す意思が判明。

9月28日 日刊スポーツなどの報道を受け、オフのメジャー挑戦希望を正式表明。「大リーグは野球の最高峰。若いうちに挑戦したい」。

10月13日 ヤクルトとのCSファイナルステージ第2戦に先発し、3回2失点で敗戦投手。これが22年最終マウンドに。

10月14日 阪神球団がオフのポスティング制度使用を容認することが判明。

10月17日 阪神がポスティング制度使用の容認を正式発表。「球団に感謝したい。少々の不安と胸の高鳴りと、両方がある」。

11月10日 米国でGM会議中、代理人のボラス氏が藤浪のメジャー契約に「需要は高い。多くの球団が必要とするだろう」と自信。

12月1日 阪神が、ポスティング制度による移籍交渉の手続きをMLBに申請して受理されたと発表。

12月9日 ダイヤモンドバックスがメジャー契約を用意していることが判明。

12月17日 京都でバスケ男子Bリーグのイベントに登場し「来年からおそらくアメリカのメジャーリーグに挑戦させてもらう」とあいさつ。

12月31日 自身のインスタグラムを更新。「チャンスをもらえれば、人生をかけて思いっきり挑戦できれば」と決意表明。

1月10日 アスレチックスが移籍先に急浮上したことが判明。