門田さんがいたから、ホークスへ行った-。NPBで強打者として活躍したブーマー・ウェルズ氏(68)が25日に取材に応じ、74歳で死去した門田博光さんの死を悼んだ。

ブーマー氏はタイトル争いの好敵手として、そして3年間はチームメートとして門田さんと接してきた。92年のダイエー移籍も「門田さんと一緒にプレーしたかったから」と明かしたスラッガーが、思い出を語った。【国際電話=高野勲】

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米国アトランタ州で余生を過ごすブーマー氏は、門田さんの死去を深く悲しんでいる。「本当に偉大な選手でした。悲しみに包まれています。彼はきっと、ファンに永遠に愛されると思います」と悼んだ。

ブーマー氏は83年に阪急(現オリックス)入り。2メートル、100キロの巨体からかっ飛ばす、規格外の大ホームランが話題となった。わずか170センチの門田さんは、球史に残るこの大男を恐怖のどん底に突き落とした。

ブーマー氏 あんな強い打球を飛ばすバッターは、メジャー時代も含めて初めて見ました。間近で見ると、怖いのなんの。南海(現ソフトバンク)戦で私が一塁を守っていて、彼が走者に出ると「頼むから私に打球を当てないでくれよ。あなたの打席だけ、外野を守ろうかな」なんて冗談も言いましたよ。

来日1年目のこの年、門田さんは40本塁打でキングとなる。負けじとブーマー氏は翌年84年、外国人初の3冠王を獲得。好敵手として、落合博満(ロッテ)らとともにパ・リーグをけん引した。

そして88年オフ。南海はホークスをダイエーに譲渡し、球団は福岡へと移転した。奈良市に住んでいた門田さんは、在阪球団への移籍を希望。兵庫・西宮市を本拠地とし、同じ時期に阪急を買収したオリックスへ移った。球界を代表する大砲2人は、初めて同僚となった。

ブーマー氏 門田さんが来てくれて、本当に喜びましたよ。私が3番、彼が4番に入ることで、勝負を避けられることが減りましたから。実は私は、脚力にも自信があってね。一塁ランナーに出て、門田さんの二塁打でホームインするのが、楽しかったなあ。試合後はいつも、西宮球場のロッカーでビールを手に話し込みましたよ。

ところが、そんな名コンビを悲劇が襲う。89年9月25日のダイエー戦(西宮)で本塁打を放った門田さんと、ブーマー氏がハイタッチ。このとき門田さんが、右肩を脱臼してしまう。

ブーマー氏 あのときは本当に驚きました。いったい何が起きたのか、さっぱり分かりませんでした。こんなことが起こるんだ、と信じられない思いでいました。

この一件が遠因となり、この年オリックスは近鉄に優勝をさらわれた。門田さんは90年オフ、球団に申し出て自由契約に。ダイエーへと移籍し、再びホークスの一員となった。そしてブーマー氏も91年限りでオリックスを去り、ダイエーへ移る。

ブーマー氏 実はまた、門田さんと一緒にやりたかったからですよ。本当に最高のチームメートでした。あれだけの腕っぷしを持っていながら、怒った顔や声を荒らげるところを見たことがありません。私はにぎやかなタイプですから、彼との間柄は「アイス&ファイア」(氷と炎)だと思ってました。亡くなったなんて、今でも信じられません。安らかにお休みください。

◆ブーマー・ウェルズ 1954年4月25日生まれ、米国アラバマ州出身。米球界を経て、83年阪急入団。84年には打率3割5分5厘、37本塁打、130打点で3冠王。本塁打王1度、首位打者2度、打点王4度。日本通算1148試合、1413安打、277本塁打、901打点、打率3割1分7厘。現役時代は200センチ、100キロ。右投げ右打ち。現在は月に何度かアマチュア選手に打撃指導を行うなど、悠々自適の日々を送る。

【写真特集】ブーマーとハイタッチをした際に右肩を捻挫し険しい表情を見せる門田博光さん>>