オリックスは17日、阪急、近鉄でプレーしたロベルト・バルボンさんが12日に急性肺炎のため兵庫県西宮市の病院で死去したことを発表した。89歳だった。

キューバ出身のバルボンさんは、55年に阪急に入団。俊足好打の内野手として、58年から3年連続で盗塁王に輝き、58年には二塁手としてベストナインに選出。65年に近鉄に移籍した。

引退後はコーチを経て阪急の球団職員として外国人選手の通訳などを務めた。明るいキャラクターで「チコ」の愛称で呼ばれ、少年野球教室などでも活躍した。

▽阪神85年日本一監督の吉田義男氏(日刊スポーツ客員評論家) 悲しい知らせです。バルボンは阪急ブレーブスの低迷期を支えた1人です。第2次世界大戦直後に来日し、苦労して、苦労して、日本で生き抜いた。同じ年で、同じ内野手で、よく語り合ったし、ウマが合った。引退後は流ちょうな日本語で、サンテレビで野球解説もして、「キューバ生まれの関西人」といえる人物でした。寂しくなりました。

▽阪急・オリックスOB会長の山田久志氏(日刊スポーツ評論家) チコさんは阪急ブレーブスの大功労者です。先日営まれたお通夜で、最後のお別れをしてきました。キューバから戦後の日本に来ても、知り合いはおらず、慣れない環境に苦労したと思います。プレーヤーとして、南米独特の身体能力の高いフィールディングと俊足ぶりは驚きでした。諸事情があって、ずっと祖国に帰れないままでしたが、キューバから野球、バレーボールなどの代表チームが来日すると、必ず激励に訪れ、わたしも連れていかれたものです。少年少女に野球を教えるさまは、野球人としてあるべき姿だと思っていました。野球が大好きな先輩でした。

▽オリックス福良GM チコさんにはお世話になった。ブーマーにずっと付いていて、技術的なことをアドバイスもしていましたから。自分とブーマーで一、二塁間をやっていて、付き合いは長かった。寂しいですね。

▽オリックス中嶋監督(阪急時代からの親交) 初めて会ったときには本当に衝撃だった。もちろん、外国人の方だったので、バルボンさんっていう名前も知っていたんですけど、その人があまりにも関西弁を流ちょうにしゃべるのは本当に面食らった。本当にいい人で、すべてのことを明るく、周りを明るくしてくれるその能力はすごい人だった。