西鉄ライオンズの黄金期を支えた中西太氏(日刊スポーツ評論家)が、11日午前3時38分、東京都内の自宅で心不全のため死去していたことが18日、分かった。

90歳。現役時代は“怪童”と称されたスラッガーで、本塁打王5回、首位打者2回、打点王3回のタイトルを獲得。西鉄、日本ハム、阪神で監督を務めるなど、計8球団を渡り歩き、指導者として若松勉、イチローら名選手を育てた名伯楽だった。すでに通夜・告別式は家族で執り行われた。

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◆中西太氏年譜

1933年(昭8)4月11日に生まれる。香川県高松市出身

46年 旧制高松一中(現高松一)入学。豪打で注目を集める。打撃練習では打球が速くて危険なため、内野手が外野へ動くほどで、打球が飛びすぎて校舎の瓦やガラスを割った。

49年 春、夏の甲子園に出場。夏は準決勝で佐々木信也のいた湘南に敗れる

51年 夏の甲子園出場。準決勝で平安に敗退。

52年 早大進学希望も、故郷の先輩三原脩の勧誘で西鉄入り。開幕戦からスタメン起用され、12本塁打を放ち新人王獲得。

53年 8月29日大映戦(平和台)で、林から推定160メートルの特大弾。現在でも日本人最大級と言われる。36本で初の本塁打王。打点王も獲得。本塁打王は同年から4年連続。打率3割1分4厘、36本塁打、36盗塁で史上最年少でトリプルスリーも達成。

55年 打率3割3分2厘で首位打者。58年にも獲得

56年 三原脩監督の長女敏子と結婚。2度目の打点王。

57年 100打点で3度目の打点王。

58年 23本で5度目の本塁打王

60年以降 故障などで代打出場が増える

62年 選手兼任で監督に就任。

63年 プロ野球最大14・5差を逆転しリーグ優勝。日本シリーズは3勝4敗で巨人に敗退。

69年 現役引退、監督も退任。

71年 ヤクルトコーチに就任。73年まで務める。

74年 日本ハム監督就任。2年連続最下位で75年限りで退任。

79年 阪神コーチ就任

80年 ブレイザー監督辞任に伴いシーズン途中監督に昇格。

81年 3位になるが退任。

83年 ヤクルトコーチ就任。

84年 武上監督休養に伴い代行監督となるが、健康上の理由と成績不振で5月21日限りで辞任。

85年 近鉄コーチ就任。

89年 中日から獲得したブライアントを開花させ、仰木監督とのコンビでリーグ優勝。90年限りで退任。

92年 巨人コーチ。

94年 ロッテコーチ就任。八木沢監督に代わり代行監督を務める。シーズン後退任。

95年 オリックスヘッドコーチ就任で仰木監督と再びタッグ。同年のリーグ優勝、96年の日本一に貢献。97年限りで退任。その後も数球団で臨時コーチなどを務める。

99年 競技者表彰で野球殿堂入り。