侍ジャパン栗山英樹監督(62)が18日、心不全のため90歳で亡くなった中西太氏を悼んだ。

ヤクルト1年目の84年に、コーチだった中西氏に師事した。栗山監督は同氏の義父三原脩氏も師と仰ぎ、3月のWBCでは三原氏が残したメモ「三原ノート」が支えになっていた。そこには中西氏の存在があった。

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栗山監督の脳裏には、今も39年前の光景がはっきりと浮かぶ。

「すごく愛情深いコーチングは鮮明に記憶に残っています。ティー打撃の練習でボールを上げてくれたのですが、どんどんこちらに近づいてきてバットが当たってしまいそうな距離にまで迫ってくる。そこまで熱意を持って伝説の一流打者が接してくれたことに、感動したことは忘れません」

ドラフト外での入団だったが、順位など関係なく、全身全霊で指導にあたってくれた。そのスタイルは、後に同じく指導者の道を歩む自身の手本となった。

「誰にも分け隔てなく接してくれました。私が指導者になる上でも、その姿に大きく影響を受けました」

栗山監督は、中西氏の義父である三原脩氏も師と仰ぐ。現役引退後、中西氏から三原氏が残したメモ書きを見せてもらった。野球を洞察した名将の教えに富んだ内容を、むさぼり読んだ。いわゆる「三原ノート」は、栗山監督にとって座右の書となった。3月のWBCでも宮崎の強化合宿から手元に置き、ともに戦った。中西氏がいたから、既に亡くなって会うことはかなわなかった三原氏の教えに触れることができた。2人の名を挙げて最大級の感謝を口にした。

「中西さんはヤクルトでの現役時代のコーチで、三原脩さんも含めて、私の野球人としてのすべてのベースを作っていただきました」

侍ジャパンの監督就任以来、先人の力を借りて戦うと言い続けてきた。当然ながら、中西氏も含まれる。

「この世界一も、すべて中西さんのおかげです。本当に感謝しています」【古川真弥】

○…中西氏の死を悼み、ゆかりのある日本ハム-西武戦前に両チームの監督、選手らが黙とうを行った。巨大ビジョンには、日本ハム初代監督時代の写真が映し出された。この日は、半旗を掲げて試合を開催。ほとんど接点がなかったという新庄監督だが「いろんな人の話を聞くと、教え方がものすごく分かりやすい、気持ちの乗せ方がうまいと。(そのやり方を)頭にインプットして、たまに使っています」と話した。