東京6大学リーグ4年生の進路がほぼ出そろった。明大・菅原謙伸捕手(22=花咲徳栄)は社会人野球での現役続行を希望する。岩手県出身で、少年時代に対戦したロッテ佐々木朗希投手(22)との再戦も夢見ながら、今は「大人になりたい」と足元を見つめる。

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東京6大学から社会人野球へ-。王道を夢見ながらも菅原はむしろ、寝食を共にしてきた仲間たちの一般就職に“進路”の重みを感じた。

「同期は、野球をやらない決断をした後に自分で努力して入りたい会社を見つけて、本当に真剣に準備して試験を突破してるんで。本当にその、あの、なんか嫌みっぽくなっちゃうかもしれないんですけど、憧れっていうか。本当にすごいと思います」

謙伸の名の通り、謙虚。夏の甲子園では死球を辞退後に本塁打を打ち“フェアプレー弾”として米国でも話題になった。父の良一郎さん(62)がかつてプレーした明大に進んだ。

遠く岩手でも紫紺の中に育った。「父からの島岡御大の思い出話が子守歌でした」という幼少期。野球の練習の送り迎えの車内は「明治の応援歌のCDが流れていました」。入学時に校歌は知っていたけれど、周囲の空気も察して最初は知らないふりをした。

努力し、父と同じ道を歩む権利を得ての4年間。最後の打席は少し潤んだ。「試合にあまり出られなかった悔しさ、ですかね」。4年間でリーグ戦はスタメン3試合。まだ燃え尽きられない。だから「人生のほとんどを費やした野球を切るっていう選択は本当にすごかったですね」と、つぶさに見てきた仲間たちの決断を心から尊敬する。

航空自衛隊のパイロットに憧れた。「あとはパン屋さん、トリマー…」。今は野球を続ける。少年野球の開会式でいじり、特大弾で仕返しされた佐々木朗とも、またいつか。「打ちたいっすね、やっぱ」と夢を見ながら、それより何より「大人になれるように」と日々励む。先日、22歳で初めて飛行機に乗った。「離陸直前の準備、スタンバイ感。最高にかっこ良かったですね」。切り開く大空は無限大だ。【金子真仁】

◆菅原謙伸(すがわら・けんしん)2001年(平13)6月14日、岩手・一関市出身。千厩小4年で野球を始め、高校は花咲徳栄(埼玉)に越境進学。明大では通算3安打。特技は「ベッドのシーツをきれいに敷ける」。右投げ右打ち。