DeNAドラフト1位の度会隆輝外野手(21)が、プロ入り後初の東京ドームで躍動した。1回先頭、巨人戸郷のフォークを捉えて13打席ぶりの安打となる中前打を放った。1点を追う6回1死三塁では初球フォークを右前適時打。中学時代にはジャイアンツカップ優勝、社会人時代には都市対抗野球優勝の歓喜を味わった地で非凡な打撃センスを見せつけ、チームを開幕から3カード連続のカード頭勝利に導いた。

   ◇   ◇   ◇

度会が暴れ回った。1点を追う6回1死三塁、巨人戸郷の初球フォークを果敢に捉えた。「変化球は元々打つのは得意な方。どの球が来てもしっかり対応できるように」と右前への同点適時打。その後の逆転勝利へと導いた。

東京ドームには歓喜の記憶が染み付いている。ENEOS時代には優勝に貢献し、ヒーローインタビューでは「サイコーでぇす!」と感情を爆発させながら連発。中3では佐倉シニアの一員としてジャイアンツカップ優勝に貢献し「懐かしい感じもしましたし、やっぱりいい球場だなと思いました」と駆け回った。

名門・佐倉シニアでは元ロッテの西川らと同学年で主軸の3番を張った。同じセカンドで切磋琢磨(せっさたくま)した岩舘央歩内野手(現千葉経済大4年)は常に度会の背中を追いかけた。「隆輝は飛び抜けてましたね。誰よりも目立つ存在」と当時からセンスは抜群だった。

7年の時がたち、岩舘は同大学野球部の部長としてチームをまとめる。舞台は違えど、元気いっぱいにグラウンドで躍動する度会の姿に懐かしみながら勇気をもらう。「ああ隆輝だなあと。常に楽しんでて、前向きな発言ばっかり。『それできたらプロ野球選手になれるよ!』とか、うまく乗せられてました。僕も負けるわけにはいかない」と今も昔も背中を押される。

縁はつながる。偶然にも、岩舘の父・善広氏は巨人阿部新監督の安田学園時代の同級生で、現在も運転手兼マネジャーを務める。度会は阿部監督と直接の面識はないが、同じ千葉県出身でもあり、遠からずの縁があった。「プロ野球選手で第1歩を東京ドームで踏めて感慨深い。やっとこの舞台に来られたんだなと。もっともっとこの球場でやるのが楽しみです」と度会。巨人のスローガン「新風」に負けじとDeNAにも新たな風を吹き込み続ける。【小早川宗一郎】

◆度会の都市対抗 ENEOS時代に21~23年の都市対抗野球に出場。2年目の22年は5試合で21打数9安打(打率4割2分9厘)、4本塁打、11打点をマーク。チームを9年ぶりの優勝に導き、史上3人目、野手では初めて橋戸賞、若獅子賞を同時受賞した。

▼首位DeNAが5勝2敗とし、セ・リーグで貯金があるのはDeNAだけになった。DeNAの貯金独占は横浜時代の00年4月4日以来24年ぶり。この時は横浜が開幕4連勝で貯金4、2位の中日、巨人、広島が勝率5割、5位のヤクルト、阪神が借金2だった。

○…度会は試合前、プロ入り後初観戦に訪れた北砂リトル時代の恩師・久保喜一郎監督と久しぶりに対面した。「変化球、打てるよ」と激励され、言葉通り2安打とも巨人戸郷のフォークを捉えた。スタンドとグラウンドとの“遠隔ツーショット”も撮影し、久保監督は「感慨深いです。チームも勝ってずっと度会が言ってた『勝利に貢献する』という姿を見られて良かったです」としみじみ言った。

○…今季チームが掲げる走塁改革が実を結んだ。同点の7回、先頭の牧が右前打を放つと、宮崎の打席でカウント2-2からヘッドスライディングで二盗を決めた。昨季2盗塁の主砲の果敢な走塁から宮崎の遊ゴロで1死三塁とし、関根の適時打で1点をもぎ取った。三浦監督は「やってきたことはもちろん、牧が良い判断をして体もよく動いていいプレーをしてくれてました」とたたえた。