「4番サード中田」が誕生するかもしれない。日本ハムは、左手第5中手骨の亀裂骨折で戦線離脱している中田翔内野手(24)を、来季「三塁手」に再転向させる方針であることが12日、分かった。既に本人にも伝えられている模様。近年は左翼のレギュラーに定着しているが、もともとは内野手として入団。課題のスローイングが安定してきたことや、内野手の主砲を育成したいという思惑もあり、ルーキーだった08年以来となるポジションに挑戦することになる。

 「4番サード」。平成の怪物が、昭和の大スター長嶋茂雄氏の系譜を次ぐ。近年は左翼のレギュラーに定着している中田だが、プロ入り7年目となる来季、三塁手に再挑戦するプランが浮上した。球団側の方針は、既に本人にも伝えられているようだ。

 現在の登録も「内野手」であるように、中田はもともと大型内野手として日本ハムに入団。ルーキーイヤーの08年は、三塁手としてキャリアをスタートさせている。だが、送球に難があったことなどから、翌09年には一塁手に専念。10年からは外野にも挑戦し、11年からは左翼が定位置となっている。

 昨季まで在籍した清水外野守備コーチ(現ロッテコーチ)と二人三脚で練習に取り組み、守備力はみるみる向上。陽岱鋼、糸井(現オリックス)と鉄壁の外野陣を組むまでに成長し、特に補殺数は昨季まで2年連続でリーグトップを記録した。「ゴールデングラブ賞を取りたい」と口にするようになり、コーチ陣も「守備に対する意識、集中力が変わった」と評価していた。

 一方で補殺数に表れているように、1年目には課題だったスローイングが、外野でプレーしたことで安定。三塁手に再挑戦することは、選手としての幅を広げる上で、今後の野球人生にもプラスとなる。また内野手の主軸打者を育成したいというのは、球団フロントや栗山監督の強い希望でもあり、今や不動の4番となった中田を、再び三塁手にコンバートさせることになった。

 左手を骨折して戦線離脱中の中田は、11日に札幌市内の病院でエックス線検査を受け、骨がくっつき始めていることが確認された。固定装具は外れ、この日もチームメートと時折談笑しながら、素振りや送球練習などをこなした。今日13日には、2軍施設のある千葉・鎌ケ谷に場所を移し、実戦復帰へ向けて調整のペースを上げる。

 まずは今季中に復帰し、クライマックスシリーズ出場、リーグ本塁打王獲得を目指すが、その先には、さらなる挑戦が待っている。

 ◆中田の守備位置

 プロ1年目の08年は2軍で56試合に出場。三塁で51試合、一塁で10試合(途中交代含む)出ており、失策数は三塁で11、一塁で2だった。09年以降、1軍ではこれまで一塁と外野を守っている(09年オープン戦で4度三塁守備)。外野の393試合はすべて左翼で出場。外野では11年11補殺、12年19補殺を記録し、2年連続パ・リーグ外野手の「補殺王」となった。今季は7補殺でリーグ3位。一塁は通算78試合を守り、失策は10年9月11日ソフトバンク戦と今年8月6日西武戦の2個だけ。日本ハムでは内野手登録だが、外野手登録だった今年のWBC日本代表では左翼で5試合、一塁で1試合に出場した。