1月4日に、元横綱日馬富士関の暴行事件の被害者で十両貴ノ岩の師匠の貴乃花親方(元横綱)が、理事解任の処分を受けることが正式決定した。

 ようやく事件の当事者、関係者の処分は終結。17年11月14日の九州場所3日目に、一部報道で元横綱日馬富士関の暴行問題が発覚してから51日。この間、連日のように各メディアが事件関連の報道をし、事件の当事者、関係者は1日も気が休まることはなかっただろう。各メディアの報道に登場するのは、当然事件の関係者。しかしその裏では、事件とは関係のない力士らも気が休むことがなかった。

 暴行問題の全容、解決がまだ不透明だった17年12月3日、長崎・大村市を皮切りに冬巡業がスタートした。冬巡業は基本的に、前日夜には開催地へ移動する。そのため2日夜には、冬巡業に参加する親方衆、力士らは大村市入りした。問題はその日の夜に起きた。

 巡業は普段、本場所に足を運べないファンのために親方衆や力士らが各地方をまわり、朝稽古や初っ切り、相撲甚句などを披露して、相撲の良さを目や耳で感じ取ってもらう狙いがある。地元ファンにとっては年に1度の楽しみ。それは力士とて同じ。巡業会場でのファンとの触れ合いもそうだが前日入りした夜に、各地方の絶品料理やお酒に舌鼓を打つのも楽しみのうちの1つだ。

 当然、大村市入りした2日夜も、飲み屋街に力士らの姿があった。こぢんまりとした飲み屋街だが、その割には力士の姿は少ないように見えた。後日、力士らに話を聞くと「自粛しています」という声が多くあった。暴行問題が巡業中の酒席で起こっただけあって、事件には関係ない親方衆や力士らも敏感になっていた。

 飲み屋街に力士が少ないのが問題、という訳ではない。問題は過熱する取材のあり方だった。巡業の夜は早々と仕事を終わらせて各土地の料理に舌鼓を打つ記者は、2日夜も飲み屋街に繰り出した。携帯電話を握りしめて店を探している時だった。

 ある店の前に、ダウンコートを着た女性が1人で立っていた。誰かを待っているのか-。少しそわそわしたように感じたった。何げなくふと目を下にそらすと、手に光るものがあった。ダウンコートの袖で少し隠すように、ハンディカメラが忍ばせてあったのだ。

 決めつけるわけではない。腕章もパスもぶら下げていない。何も関係のない一般人かもしれない。しかし、その店の中には力士の姿が見えた。おそらくテレビ局か週刊誌か…。時計の針は午後9時を回っていた。「こんな時間までご苦労さんですなぁ」と仕事熱心ぶりに脱帽しつつ、事件とは関係のない力士らを少しふびんに思った。

 2日夜は玄界灘でとれた魚を堪能し、翌日の大村巡業を終えて3日夜には、長崎・五島市に入った。もちろん仕事を早々と済ませ、ある一軒の地元の居酒屋に入った。そこでも地元の魚や肉を堪能している時だった。突然、店の入り口から大きな声が聞こえてきた。

 「すみませーん。○○(某テレビ局)ですけど、誰か力士の方とかって店に来てませんかねぇ?」

 店のおかみさんが対応したとみられ、声の主は店の中には入って来なかった。その後、おかみさんに話を聞くと怒りの表情を浮かべながら話してくれた。

 「突然、テレビ局の人が来て『力士いませんか』って。名刺も何も見せないで、でっかいカメラ持っていきなり押しかけてくるんだから。非常識でしょ」

 おかみさんによれば、他のいくつかの店にも押しかけて手当たり次第に力士を探していたという。

 暴行問題が巡業中の酒席で起きただけに、力士が夜の街にいるところを撮りたい気持ちは、同じマスコミで働く身として痛いほど分かる。当然、上の立場の人から言われれば拒否することもできず、言われるがままにやらざるを得ないのも重々承知している。しかし、取材される側の気持ちを考えることも必要だと思う。暴行事件とは関係のない協会関係者は、自分が宿泊しているホテルの入り口前や、関取衆の付け人が洗濯するコインランドリーに、ハンディカメラを持った報道陣がいたことに対して激怒していた。

 「報道なら何やってもいいのか。俺たちのプライバシー侵しすぎでしょ。何の権利があってここまでやってるんだよ」

 報道の自由という言葉がある通り、各メディアが連日報道している。もちろん弊社もそうだ。しかし報道するためには取材が必要不可欠で、その取材が今回のように過熱し過ぎて、取材対象者に迷惑をかけるのはいかがなものかとは思う。カメラやマイク、名刺を出してノートを広げれば取材はできる。ただ勘違いしてはいけないのは、こちらはあくまで「取材をさせていただいている」ということだと思う。

 カメラ、マイク、名刺、ノートには取材を強制する権利は何もない。この事なら、この人なら話すか、という相手側の思いがあって初めて取材はできると思う。それを無視して一方的に押しかけては、不快感だけを与えて聞ける話も聞けないのではないだろうか。

 記者2年目の新米記者ながら、元横綱日馬富士関の暴行事件の一連の取材でそう感じた。【佐々木隆史】