稀勢の里に沸き、白鵬が全勝優勝で締め、大団円と思ったら、貴乃花親方の年寄引退騒動…。いい悪いはさておき、これだけ話題が続く業界も珍しい。そんな中、ひっそり窮地を脱した男がいる。

大関栃ノ心である。

夏場所に昇進を決め、新大関場所の名古屋も5連勝。こりゃ優勝か? 今度は綱取りか? てな空気が漂い始めた6日目、玉鷲戦で右足親指付け根の靱帯(じんたい)を損傷し、急転、休場に追い込まれた。で、いきなりかど番で秋場所を迎えることになった。

天国から地獄ですな。相撲は取れても完治はしていない患部、療養優先による稽古不足の影響で思うように動けない。星が伸びず、気持ちがへこむ。場所中に「どうしても“負けたら、落ちちゃう”と考えちゃうね」とボソボソしゃべる姿は、優勝後の春場所で「負けるイメージが全然ないんだよ」と、ごく普通に話していた人間と同一人物とはとても思えんかった。

怪力自慢の大男がしょぼくれてると、おせっかいとわかっていても声を掛けたくなる。5勝3敗で稀勢の里戦を迎える9日目の朝。失礼を承知で聞いてみた。

万が一でっせ、今場所がダメで関脇に落ちても“ふん、来場所10勝したる”ぐらいに考えるとか…。できませんか?

「今場所8勝できないヤツが、来場所10勝できるわけないでしょ」

ま、まあ、そらそうかもしれませんが、気持ちの持ち方っちゅうかね…。

「今場所8勝の方が近いでしょ。簡単でしょ」

あかん、逆効果や…。

栃ノ心は最終的に14日目の阿炎戦で8勝目を挙げ、かど番脱出を決めた。そこは本人の踏ん張りが1番だったことは間違いない。ただ、最後に背中を押したものがあったとすれば、何だったのか?

13日目は正代に負けて、7勝6敗。あと2番で1勝すればいい状況にもかかわらず「もうダメですね」と禁句を口走った。心は折れる寸前だった。

14日目の朝稽古。土俵の栃ノ心に、師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)が怒鳴った。

「なにをデレ~っとやってんだ! 落ちたら(大関を)クビなんだぞ! わかってんのか?」

「はい」「はい」と答えた栃ノ心の表情がピリッとしたように見えたのは、気のせいか。知る限り、秋場所中の朝稽古で、親方が激しく叱責(しっせき)したのは、この1度だけ。

師弟や。恐れ入りました。

【加藤裕一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)