見慣れない光景だった。8日目の貴景勝と逸ノ城との一番。

逸ノ城が序盤の攻防で貴景勝のまげをつかむ反則があったものの、勝敗を決定づける場面ではなく取組は2分以上続行。貴景勝を土俵下に吹っ飛ばした逸ノ城に軍配が上がった直後、二子山親方(元大関雅山)は素早く手を挙げた。「(勝負の)後に物言いをつけるように指導されている。確認事項で物言いをつけました」。

同じく土俵下で審判を務めていた友綱親方(元関脇旭天鵬)によると、5人の審判のうち3人が逸ノ城の「まげつかみ」に気付いていたという。「基本は流れとしては止めちゃいけない。(協議では)みんなで話し合って、最後はビデオでも確認してもらった。あんなにがっちりつかんでいたから、確認するまでもなかったんだけどね(笑い)」。冗談を飛ばしつつ、入念に確認を行った。

SNSでは「反則があった時点で勝負を止めればいいのに」という意見も広がったが、審判部では、勝負がついたか自信がないときは取組後に物言いの手を挙げるよう指導されている。きっかけは12年九州場所9日目、日馬富士と豪栄道の一番。日馬富士の足が出たとして、湊川審判委員(元小結大徹)が取組を止めさせたものの、勝負はついておらず異例の「やり直し」に。日馬富士の左かかとが俵に残っている写真が報道されるなど“誤審騒動”になった経緯があった。

翌日には当時審判部長の鏡山親方(元関脇多賀竜)が、確信がないときは取組後に物言いの手を挙げるように周知させた。「(当時現役だったため)俺はまだ審判部にはいなかったけど、審判になった(配属された)ときはしっかり言われましたね」と友綱親方。審判部の親方衆が定期的に入れ替わる中で、指導は引き継がれているという。

【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

九州場所8日目 貴景勝と逸ノ城の一番で物言いが付き協議する審判団(2021年11月21日撮影)
九州場所8日目 貴景勝と逸ノ城の一番で物言いが付き協議する審判団(2021年11月21日撮影)