ボクシングで元世界3階級制覇王者の八重樫東(37=大橋)が1日、オンラインで会見し、現役引退を表明した。2月に大橋秀行会長から引退を勧められて決意した。05年3月にプロデビューし、11年にWBAミニマム級、13年にWBCフライ級、15年にIBFライトフライ級の王座を獲得し、日本選手3人目の3階級制覇を達成。どんな相手にも逃げずに激しく打ち合うスタイルから「激闘王」の異名を取った。昨年12月にTKO負けしたIBFフライ級王者ムザラネ戦が、最後の試合となった。通算成績は35戦28勝(16KO)7敗。

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16年前、大橋ジムに入門した9月1日、八重樫がグローブをつるした。昨年末に2年半待った世界戦で敗北。「限界は感じていない」としながらも、大橋会長の「もういいんじゃないか」という言葉に決意を固めた。「誇れるのは、負けても立ち上がってこられたこと。悔いはない」。大切にしてきた「懸命に悔いなく」の言葉通り、逃げずに、真っ向勝負を貫いてきた。

思い出の一戦には「あんなに面白かった試合はない」と、14年9月のローマン・ゴンサレス戦をあげた。多くの選手が対戦を避けた強敵を、自ら挑戦者に指名した。どれだけ被弾しても、パンチを打ち返す姿に、会場は異様な熱狂に包まれた。12年6月の井岡戦と同じく、敗れてなお、男を上げた。大橋会長も、練習への愚直な姿勢などを評価し「この15年は奇跡に近い」とたたえた。

実直な八重樫らしく、会見では、終始、丁寧な言葉で思いを語ったが、3人の子どもについて話を振られると、こらえ切れなかった。「あいつらがいなければ、世界チャンピオンにはなれていない…」。涙をぬぐうと、大切な思い出をかみしめるように続けた。

13年4月のWBCフライ級王者五十嵐戦。アマ時代に4戦全敗の相手との一戦に向け、調子が上がらずにいると、当時8歳の長男圭太郎くんに言われた。「負けると思えば、負ける。勝つと思えば勝てるよ、お父ちゃん」。八重樫は「あの声があったから勝てた」と愛息への感謝を口にした。

ボクシングを「自分の人生を豊かにしてくれたもの」と表現した。負けても、また、立ち上がればいい-。その思いは、多くのファンに伝わった。「一生懸命走ってきた。人間なので、転ぶことも、休むこともあった。でも、それでいいと思っている」。山あり谷ありの現役生活に終止符を打ち、今後はジムでトレーナーとして、後輩の指導にあたる。「激闘王」が多くのものを残し、リングに別れを告げた。【奥山将志】

◆八重樫東(やえがし・あきら)1983年(昭58)2月25日、岩手・北上市生まれ。黒沢尻工3年でインターハイ、拓大2年で国体優勝。05年3月プロデビュー。06年東洋太平洋ミニマム級王座獲得。7戦目で07年にWBC世界同級王座挑戦も失敗。11年にWBA同級王座を獲得し、13年にWBCフライ級王座を獲得して3度防衛。15年にIBFライトフライ級王座を獲得し、日本から4人目の世界3階級制覇を達成した。2度防衛。160センチの右ボクサーファイター。通算28勝(16KO)7敗。家族は彩夫人と1男2女。