プロボクシングの元日本、東洋フライ級王者の矢尾板貞雄(やおいた・さだお)さんが午後5時35分、小脳出血のため東京都目黒区の病院で死去した。86歳だった。

東京・渋谷区生まれの矢尾板さんは55年9月にプロデビュー。58年に日本、東洋のフライ級王座獲得した。59年1月、ノンタイトル戦で7度防衛していた同級世界王者パスカル・ペレス(アルゼンチン)に判定勝ち。白井義男以来、日本2人目の世界王者誕生の期待が一気に高まったが、同11月に大阪で行われた世界戦では、ペレスから2回にダウンを奪いながら、13回KO負けを喫して世界王座獲得はならなかった。

62年10月、同級世界王者ポーン・キングピッチ(タイ)に挑戦することが決まったが、持病の悪化やジム内の問題を受けて突然、引退を表明した。戦績は53勝(7KO)11敗2分け。引退後はサンケイスポーツでボクシング評論家、競馬記者として活躍し、フジテレビでも長くボクシングの解説者を務めていた。

80歳を超えてもプロボクシングの聖地、東京・後楽園ホールのリングサイドに取材し、40年以上も試合分析ノートを書き続けた。世界戦を控えた日本人ボクサーのジムワークにも足を運び、積極的にアドバイスを送るなど後輩たちの指導にも熱心だった。