頭にターバンを巻き、サーベルを振り回す。「インドの狂虎」と呼ばれたタイガー・ジェット・シン。73年の初来日以来、凶暴なファイトで悪役レスラーとして一世を風靡(ふうび)した。猪木との抗争もドル箱カードになったが、仕掛け人は猪木さん本人だった。

猪木さんは「シンは最初、小さなナイフを加えていたから“つまらねぇ”と言って、サーベルを持たせた。これは感性。ふと思いついた」と後に本紙の取材で語った。

その後も、アンドレ、ホーガン、ハンセン、ベイダーと、新日本のリングから次々と世界を代表するトップレスラーを輩出した。駆け出しの外国人レスラーのキャラクターを見極め、際立たせ、眠っていた才能をリングで引き出す。「スターをつくる素質がオレにはあった。プロレスラーとプロデューサーの2人の猪木がいた。リング上でも、相手の力を引っ張り出すことができた。自分に自信があった」。

猪木さんはプロデュースのイロハを師匠の力道山から学んだ。力道山は米国から殺人狂コワルスキー、鉄人ルー・テーズ、銀髪鬼ブラッシー、白覆面の魔王ザ・デストロイヤーらを呼び寄せた。ライバルとして戦いながら、うまく相手の個性を引き出す。「力道山がキャラクターづくりの天才だった。強い選手だけでは興行にならない。善玉に悪玉、化け物…。いろいろなタイプがいて、強い選手が引き立つ。当時は意識していなかったが、身をもって覚えていたんだな」。直接教わったことはなかったが、付け人時代、四六時中そばにいたことで、自然と頭に入っていた。

プロデューサーとして最大の成功はタイガーマスクだろう。当時秘密にされた正体は佐山聡。周囲の反対を押し切って、猪木さんが強引に指名した男だった。当時、新日本の多数の幹部は身長185センチで米国人の父を持つジョージ高野を推薦。しかし猪木さんは首を縦に振らなかった。国内では知名度が低く、173センチの佐山を独断で推した。

猪木さんは「佐山は英国でサミー・リーとして人気があった。身体能力が高くて、感性も良かった。格好良さなら高野だったかもしれない。でもオレはそこじゃないと。理屈じゃなくて、佐山が1番だと直感した。迷いもなかった」と後に明かした。

タイガーマスクは81年4月23日、東京・蔵前国技館で行われたダイナマイト・キッド戦でデビュー。いきなり従来のプロレスを覆す異次元ファイトを披露した。高速回転の後ろ回し蹴りを連発。軽業師のような数々の空中殺法。見たこともない劇画のような動きに会場は揺れ続けた。劇画の中から現実の世界に飛び出したヒーローは空前のブームを呼ぶ。金曜夜8時のテレビ中継の視聴率は30%を超えた。

猪木さんの直感はズバリ的中した。「オレの中には意表を突く部分がいつも基本にある。最初、佐山自身も反対してね。それが今では、それで飯食ってる。笑っちゃうよ。オレの感性は人とは違うんだよ」。偉大なレスラーは、敏腕プロデューサーでもあった。【田口潤】