昭和から平成にかけて一時代を築き、3年前に亡くなった名横綱、千代の富士(本名=秋元貢)の記念品を集めた「千代の富士コレクション」が、このほど大阪市内に完成した。

1970年(昭45)秋場所で初土俵を踏み、81年に第58代横綱に昇進する。31回の優勝は史上3位。「ウルフ」と呼ばれ、88年夏場所から53連勝を記録、89年には角界初の国民栄誉賞に輝いた。

16年7月31日に膵臓(すいぞう)がんで死去。故郷の北海道福島町には「横綱千代の山、千代の富士記念館」が存在するが、大阪のギャラリーは現在、非公開とされている。

相撲人生の収集品を管理するオーナーは、後の九重貢親方と数十年来の付き合い。12日に初日を迎える大相撲夏場所を前に、今回は特別に入場が許され、その門をくぐることができた。

「ゴルフや釣りなどにも興じる仲でした。小兵でしたが豪快な上手投げでファンを魅了した横綱の功績をなんらかの形で残したいと思いました」

それは、まるで“宝石箱”のような空間だった。大きな優勝額、プライベート写真など秘蔵の品々が多数そろっていた。昭和を代表する歌手・美空ひばりから届いた手紙のコピーもディスプレーされている。

親方夫人として支えた秋元久美子さんは「まさかあのような立派なものができるとは思っていなくて、驚きと、そして家族としても感謝しています」と話した。

若い頃は体重100キロに満たず、横綱昇進は26歳の遅咲きだった。幾度も肩を脱臼した「小さな大横綱」は、強靱(きょうじん)な精神力で、90年史上初の通算1000勝に到達し、試練を乗り越えていった。

「今の時代にはそぐわないかもしれません。でも親方の時代は厳しいのが当たり前で、本人からは聞いていませんが、よく泣いていたとうかがっていました」

91年夏場所で当時18歳の貴花田に敗れ、同場所限りで引退。記者会見では「体力の限界」と言って涙を流し、21年に及んだ土俵人生に幕を下ろした。

どの世界でも課題とされる人材育成。久美子さんは「親方は『最近の若い子はがむしゃらさが足りない』とこぼしていました。『稽古はつらくていやだろうけど、でも稽古しかないんだよなぁ』といつも話していました」と懐かしんだ。【編集委員・寺尾博和】