元関脇豊ノ島の井筒親方(39)は、28日に東京・両国国技館で引退相撲を開催する。てんかんの持病がありながらも、18年以上に及ぶ現役生活をまっとうした。断髪後は、脳波を検査する予定。今後も親方として後進の指導に当たりつつ、てんかん患者のための活動も行っていく。引退相撲を控えた今、事情を聴いた。【取材・構成=佐々木一郎】

22日に千秋楽を迎えた夏場所。会場の国技館では連日、井筒親方が引退相撲のチケットを手売りしていた。そんな時、あるファンからこう声をかけられた。

「孫がてんかんなんです。親方は、それでも頑張られたんですね。病院に(引退相撲の)ポスターが貼ってありました」

てんかんの持病を持つ人やその家族にとって、幕内力士となって三役を務めた井筒親方の存在が励みになっているという。

井筒親方とてんかんのことは、あまり知られていないが、入門した時から公表していた。「隠していたわけではないんです。ウィキペディアにも書いてありますし。てんかんだからといって、就職や結婚に影響するケースもあると聞きます。自分は比較的軽度なんですが、(てんかん患者の)親御さんから、大相撲で活躍したことが希望だといってもらえるとありがたいですよね」。

てんかんの発作が初めて起きたのは、小学校2年の時。口から泡を吹いて、丸1日、意識を失った。検査を受けると、脳波に異常があると言われた。すでに相撲をやっていたが、頭部へのダメージは望ましくないとされ、相撲を続けていいものか決断を迫られた。

「当時の監督が、『(立ち合いの時に)頭で当たらない条件で続けさせてやれないでしょうか』と言ってくれました。親はよくやらせたと思います。おふくろはずっと反対でしたけどね」

この時からずっと、豊ノ島の立ち合いは頭からかますのではなく、胸を出す形になった。身長170センチに満たない力士こそ、低さを生かして頭からいくべきだが、セオリーに反した立ち合いはこのころから始まった。

体育で水泳の授業がある時は、母が立ち合わないと学校から参加の許可が下りなかった。プールの中で突然の発作が起きて意識を失った場合、極めて危険な状況になると考えられたためだ。他の子と見分けがつくように、1人だけ白ではなく赤い水泳帽をかぶった。1人で入浴する時は、母が時々声をかけて発作が起きていないか確認していた。

入門までの間、発作が起きたのは小2、小3、中2の時の計3回。定期的な検査とともに、薬の服用も続けた。高知・宿毛高から時津風部屋に入門する際には、持病のことを師匠はもちろん、部屋の兄弟子たちにもすべて説明した。

入門後の発作は1回だけあった。すでに十両になっていた21歳の時。昼寝から起きて出かけようとした時、けいれんが起きた。気付いた兄弟子が、舌をかまないようにと口に指を突っ込んだ。意識がない豊ノ島はその指をかみ、兄弟子の爪が割れた。救急車で病院に運ばれ、数時間後に意識を取り戻した。

この時以来、約18年間発作は起きていない。悪影響があると言われて、飲酒はしていない。てんかんは薬の服用などにより発作を抑制でき、通常の社会生活を送ることができる。力士生活もまっとうできた。胸から行く立ち合いは不利なはずだが、持ち前の体の柔らかさや、天才的な差し身のうまさを武器にした。三役を13場所も務め、三賞10回、金星4個。幕内優勝こそなかったが、2010年九州場所では14勝1敗として白鵬と優勝決定戦を戦った。

2020年春場所限りで引退したが、万が一のことを考えて、車の普通免許は今も取得していない。

父の梶原一臣さんは「入門する時も、『隠すことだけはいかんで』ときちっと言いました。発作が起きた時は周囲の協力も必要ですから。薬の影響か、身長は伸びなかったけど、そのわりにはよう頑張った。上出来ですわ」と言う。親子ともども、極めてポジティブだ。

毎年3月26日は、「パープルデー」と呼ばれ、世界中でてんかんの啓発キャンペーンが行われる。今年は春場所中だったため、井筒親方は大阪でのイベントに参加できなかったが、メッセージを送った。妻沙帆さんの高校時代の同級生が、てんかん発作を記録するアプリを開発した会社の社長という縁もあり、関係者との接点ができた。井筒親方は「こうしてつながりもできましたから、今後はいろいろ協力していこうと思っています」と話している。

パープルデー大阪代表の小出泰道医師は「(てんかん患者は)運動や部活など制限を受けることもあります。そういう中で、一流のアスリートがいることは、スポーツをやっている子にとって勇気になります。協力していただけるのは、ありがたいですね」と話す。日本てんかん協会ともつながりができ、いくつかの病院では引退相撲のポスターを貼って相互理解に努める動きが生まれている。

引退相撲でまげを切ることは、井筒親方にとって角界だけにとどまらない意味を持つ。断髪した後、脳波の検査を受ける。電極を頭部に付けて調べるため、びん付け油が塗り込まれたまげがあると検査がままならないという。

現役最後となった2020年春場所は、コロナ禍の影響で無観客開催だった。「長い相撲人生だったので、これだけやって最後が無観客だったことはさみしい。まだ声援はダメかもしれませんが、応援タオルもあります。最後のまげ姿を見に来ていただきたいですね」。

トーク力は角界随一で、イベントでは進行役などを任されることも多い。そんな立ち位置の一方、持病とも向き合ってきた。胸で立ち合うこと、酒を飲まないこと、引退してからも運転免許を取らないこと-。実はすべてに理由があった。まもなく節目の引退相撲。その後、元豊ノ島だからこそやれる活動が広がっている。

◆てんかん 突然意識を失うなどのてんかん発作を繰り返す脳の病気で、症状には個人差がある。人種などに関係なく、100人に1人がかかる可能性がある。その多くは薬などで抑制できる。小出医師によれば、頭部へのダメージが発作に影響するかどうかは不明。また、発作が起きても舌をかみ切ることはなく、口に物を入れない方がよい。運転に支障をきたす発作が2年以上なく、医師の診断があれば運転免許の取得は可能。