新入幕の東前頭17枚目の尊富士(24=伊勢ケ浜)が110年ぶりの快挙に王手をかけた。前日12日目に喫した初黒星の影響なく、関脇若元春を攻めて寄り切った。1敗を守っての12勝目。大関経験者の朝乃山との対戦が組まれた14日目に勝てば、1914年(大3)5月場所の両国(元関脇)以来の新入幕Vと所要10場所の史上最速優勝が決まる。大関豊昇龍と大の里が3敗を守り、可能性をつないだ。

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歴史的優勝へ、尊富士の足は止まらなかった。鋭い立ち合いから左を差し、前に出ながらのすくい投げで若元春を崩す。さらに右を巻きかえてもろ差しと万全の形で寄り切った。立ち合いでかち上げを食らい「フワッとしたけど気力で。あまり覚えていないけど体が動いた」とニヤリと笑った。

前日12日目は、大関豊昇龍を攻め込みながら土俵際で小手投げを食い、初黒星を喫した。支度部屋では「クソー!」と叫んだ。部屋付きの楯山親方(元幕内誉富士)によると、部屋でも「めっちゃ悔しい!と言ってました」。しかし一晩で切り替える。尊富士の強さだった。

横綱からの言葉が、暴れそうな心を鎮めた。部屋に戻ると照ノ富士から電話があった。「場所中になかったのでビックリしました。『切り替えて準備に集中しろ』と。『上位は立ち合いだけで通じない』とアドバイスをいただいた。相手の体勢を崩すこと。相手がどういう攻め方をするか」という教えが心に刺さった。

この日、朝の稽古場に初めて姿がなかった。楯山親方は「とりあえず休みたかったんじゃないですか」。尊富士は「全身つったような感じになって、これじゃ動いてもしょうがないかなと。精神的にもきてたのかな。僕も人間なんで」。ここにきての初土俵から10場所目の“幕内ルーキー”とは思えない冷静な判断。切り替えた効果は絶大だった。

「ゲンは担がない」というが、この日から化粧まわしを替えた。地元青森・五所川原の壮大な祭り、「立佞武多(たちねぷた)」が描かれたもの。「(地元の人の)思いを背負ってやろうと思った。思いは通じたと思います」。

両国以来、110年ぶりの新入幕V、そして優勝制度ができた1909年(明42)夏以降最速となる歴史的快挙に王手をかけた。支度部屋を後にしたあとに組まれた14日目の対戦相手は、大関経験者の朝乃山。「勝っても負けても自分の相撲をとって、15日間しっかりと土俵に上がることだけが務めと思っています」。特別に高ぶることもない。ふぞろいな歯並びをのぞかせた無邪気な笑顔が、揺らぎない心を映した。【実藤健一】

○…勝ち越して尊富士戦が組まれた朝乃山 (14日目の相手が決まる前に、尊富士と対戦したいか問われ)自分も優勝が懸かっていたらやりたいけど。風呂場で一緒になった(若)元春には「尊富士、どうだった?」とは聞いた。自分は1つでも白星を積み重ねられるように、頑張るだけです。

◆尊富士弥輝也(たけるふじ・みきや) 本名・石岡弥輝也。1999年(平11)4月9日、青森県五所川原市生まれ。鳥取城北高→日大。22年秋場所初土俵、24年初場所新十両で13勝2敗の優勝、今場所新入幕。184センチ、143キロ。得意は突き、押し。

◆両国勇治郎(りょうごく・ゆうじろう) 1892年(明25)3月18日生まれ-1960年(昭35)8月10日没。現在の秋田県大仙市出身。1909年(明42)6月場所で入間川部屋から初土俵。14年5月場所新入幕、9勝1休で優勝した。小柄ながら左四つからの投げ技を得意とし、最高位は東関脇。24年1月場所を最後に引退した。