AKB48峯岸みなみ(28)が、05年12月8日に同劇場がオープンしてから5651日、約15年半のアイドル人生に終止符を打った。

公演の最後には、秋元康総合プロデューサーから手紙も送られ、峯岸が読み上げた。全文は次の通り。

とうとう峯岸まで卒業か…。1番いろいろなことがあった末っ子を最後に嫁に出すようで、ホッとするとともに、言いようもない寂しさを感じます。

ブルーシートでおおわれ、まだ工事中だったこの秋葉原の劇場に第1期生のメンバーが集まった時、峯岸は13歳の子供でした。「これから君たちはここで歌い踊り、日本一のアイドルになるんだ。東京ドームでライブをやり、NHK紅白歌合戦に出場して、レコード大賞をとれるようなグループを作ろう」。こんな狭い劇場で大きな夢を語っている僕の話を、峯岸はどんな思いで聞いていたのでしょう。

ダンスのレッスン経験があった峯岸は、ずばぬけてダンスが上手かったことを覚えています。だから「PARTYが始まるよ」公演で、峯岸のダンスをフィーチャーした楽曲があったのですが、峯岸のダンスがうますぎて、他のメンバーとのバランスが悪くて、すぐに外されてしまいましたね。その時、唯一自信のあったダンスが認められなくて、峯岸は途方に暮れたでしょう。同時にスタートしたメンバーが、次々に人気者になっていく姿を見て、悔しかったでしょう。

振り返れば峯岸はいつも「自分はどうすればいいんだろう?」と自問自答を繰り返していたように思います。だからノースリーブスのカップリング曲の中で「私は私」というソロ曲を作りました。あの曲はそんな峯岸に対するアドバイスでした。

そんな環境のせいもあったのでしょう。峯岸はいつも周りに気を使うメンバーになりました。メンバーにもファンにもスタッフにも、傷つけたくない、もちろん自分も傷つきたくない。心優しい峯岸みなみになりました。

ぴあアリーナの卒業コンサートに、卒業メンバーがあれだけ駆けつけたり、ビデオメッセージをもらえたのは、峯岸がこれまでどんなに悔しいことがあっても、楽しいことがあっても、決して腐らず、仲間を祝福し、応援してきたやさしさの持ち主だからです。

他人に気ばかりつかってしまう峯岸が、厳しい芸能界を歩き出すのは心配ですが、何かあればいつだってファンの皆さんを含めた仲間たちが峯岸のもとに駆けつけてくれると思います。もちろん、僕も駆けつけますよ。

峯岸、卒業おめでとう! 君の優しさがAKB48をこれまで1つにしてくれました。今までありがとう。これからの峯岸みなみの活躍を期待しています。