NGT48の寺田陽菜(18)が卒業します。新型コロナウイルス感染拡大で延期になっていた卒業公演は8月中に開催予定です。小学6年間、バスケットボールに打ち込むなどNGTの“バスケ女子”としても活躍した寺田がファンだったのが、B1新潟アルビレックスBBの選手で6月に現役引退した佐藤公威氏(38)でした。寺田は4月に専門学校に進学、佐藤さんは7月にミニバスケのクラブ「Team230」を設立。人生の転機を迎えた2人がそれぞれの思い出と今後について語り合いました。【構成・斎藤慎一郎】

-こうして対面するのは初めてですか

佐藤 お話しするのは初めてです。

寺田 試合のゲスト出演をした時に選手控室の前ですれ違っていました。「かっこいい!」って。

-実は子どものころに会っているんですよね

寺田 小学生でミニバスケをやっていた時、バスケ教室に公威さんと池田(雄一)選手が来たんです。ファンになりました。

佐藤 NGTさんが試合のゲストの時は選手はみんな張り切っていましたよ(笑い)。(応援ソング)の「踵を鳴らせ!」にはパワーをもらいました。

寺田 個人的にも応援ソングをやらせてもらえたらいいなと思っていて。アオーレ長岡で披露できて、とてもうれしかったです。

-寺田さんは4年間の活動でした

寺田 すごく楽しかったです。4月から専門学校に通っていますが、改めて貴重な体験だったなって。中3でNGTに入って、普通ではできないことをたくさんさせていただきました。

-佐藤さんは17年間のプロ生活

佐藤 寺田さんも好きだからNGTに入ったと思うし、僕も好きでプロの道を選びました。好きなことが仕事になると結果を残さなければならないし、責任も出てくる。そこが大変ではありましたね。

寺田 分かります。私はアイドルが好きというより、新潟にできたNGTが好きになったんです。それで入りたい、と。好きなことをやるのは楽しいけど、仕事になると、つらいこともありました。

-一番の思い出は

寺田 AKB48グループ第2回ユニットじゃんけん大会で準優勝したことです。「ちっちゃいもんくらぶ」で初めて公演をした時もうれしかったです。

佐藤 僕は1年目の開幕戦であごを3カ所骨折したこと。口が開かないので、しばらくチューブをくわえて流動食でした。

寺田 それ、すごい…。

-卒業、引退を決めてどんな気持ちでしたか

寺田 1年くらい前から考えていました。発表してから、この仕事は今回で最後だなって風景を撮ったり。かみしめてました。

佐藤 心と体が合致した試合がほとんどなくなって。もう対価をいただくプレーはできないと思い、引退を決めました。肩の荷が下りた感じです。

-お互いにエールを

佐藤 アイドルで活動した経験は財産。ますます魅力的な女性になると思います。

寺田 ありがとうございます。お願いですけど公威さんはすごくおしゃれなので、服のブランドを立ち上げてください(笑い)。

-ファンへメッセージを

佐藤 みなさんのおかげで燃え尽きるまでバスケができました。これからも話題を提供できるように活動しますので、一緒に新潟を盛り上げましょう。

寺田 たくさんのメンバーの中で私を知って応援してくださったみなさんに支えられて続けられました。これからもみなさんのことを忘れずに自分の道で頑張っていこうと思います。

◆寺田陽菜(てらだ・ひな)2004年(平16)3月13日生まれ、新潟県出身。18年6月にNGT48の2期生としてお披露目。同年9月にAKB48グループ第2回ユニットじゃんけん大会で16人ユニット「2Ki」のメンバーとして準優勝。20年からSNSでバスケ関連のコラム「てらひなBB」を執筆。特技はバスケのほかにバレーボール、書道(4段)。趣味はランニング。

◆佐藤公威(さとう・きみたけ)1984年(昭59)4月23日生まれ、長岡市出身。中越高で国体県選抜メンバー、新潟工短大でインカレに出場。05年bjリーグドラフトで新潟入団。08年に大分に移籍後、11年に新潟復帰。Bリーグ開幕の16年は主将。島根移籍を経て20年に再び新潟復帰。bjとBリーグの個人通算は824試合出場、6530得点、リバウンド1485、アシスト1151。