SKE48須田亜香里(30)が、24日に愛知・日本ガイシホールで卒業コンサート「君だけが瞳の中のセンター」を行い、11月1日にグループを卒業する。バレエ一筋だった18歳の少女が、「青春したい」とアイドルの世界に飛び込み、真っすぐに向き合ってきた13年。そんな須田のアイドル人生を「須田亜香里の歩き方」と題して、3回にわたって連載でお送りする。第1回は須田の活動の源流にもなっている「負けず嫌い」の歴史。まだグループに加入する前の話だ。【取材・構成=大友陽平】

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根っからの「負けず嫌い」。これまでの須田の人生を支え続けてきた源流は、少女時代にさかのぼる。

「負けず嫌いなのは、ず~っと変わらないです。記憶に残っているのは、幼稚園の年少、4歳の時に鉄棒で逆上がりも、空中逆上がりもマスターしていたんですけど、それも隣の子ができていたので、『私にできないのはおかしい』と思って練習したんです。人にできることが自分にできないと気が済まないタイプでした」

小学校に進学すると、たくさんの習い事を始めた。体操、ピアノ、水泳をはじめ、絵画教室にも通った。

「これも負けず嫌い話なんですけど、小学校の朝礼で、壇上で表彰される子がいるじゃないですか? あそこで名前が呼ばれたくて、『呼ばれるためにはどうしたらいいんだろう?』って、絵も始めたんです。最終的には、コンクールで賞ももらいましたよ(笑い)」

3歳上の兄をはじめ、親戚も男の子が多い環境で育った。クラスでは目立つタイプではなかったというが、「NGなしアイドル」として今のバラエティー番組での活躍に通ずるような出来事もあったという。

「小2の時、ある男の子に毎日スカートめくりされて、悩んで先生に相談して、『ズボンをはいていきましょう』って。そうしたら常習犯の子が、後ろから走ってきて、そのズボンを下ろすという…(苦笑い)。めちゃ恥ずかしかったんですけど、でもそのあたりから、なぜかいろいろ吹っ切れるようになったんです(笑い)。負けず嫌いなのもそうだし、それから明るい感じになりました。あっ、もちろんスカートめくりはやめましょうね!」

数々の習い事の中から、やり続けたのがバレエだった。5歳の時に、祖母に「姿勢が良くなるから」と始め、小3の頃からはバレエ一本に絞った。中学受験で大学まである学校に進学したのも、バレエに集中するためだった。

「毎日学校終わりに電車とバスを乗り継いで教室に通っていました。高校受験のために休むと、その時期は体が硬くなりやすかったり、女の子は太りやすい年齢だったりもするので、その期間ももったいないと思いました。その頃は、バレリーナに絶対なりたいと思って、自分が一番上手って思えるまで、とにかく努力しました」

ところが、転機はやってきた。

「高1の時、コンクールで1番いい成績を取ったんですけど、それが”1位が該当者なしの2位”だったんです。優勝すると、憧れのバレエ雑誌『クララ』に顔写真付きで載るので、そのために頑張っていて(笑い)。優勝扱いなのでインタビューはしてもらえたんですけど、悔しいなと思いつつ、自分の限界も感じていました。自信もなかったんだと思います。別のことに挑戦したいなという思いが出てきました。『テレビの中にいる人と自分って何が違うんだろう』って子供の頃からずっと気になっていて、芸能界にも憧れて、オーディション雑誌とか買い始めるようになったんです」

SKE48劇場が入る「サンシャインサカエ」は、高校のバス通学の停車場前にあった。モニターに映し出された制服姿で踊るアイドルに、目を奪われた。

「最初にSKEを知ったのは、クラスにいたSKEファンの女の子でした。(SKE48の2期生の)古川愛李さんとか、AKB48の小嶋陽菜さん推しの子で、CDを貸してくれたり、話を聞かせていたんです。そんな時に、モニターでSKEが踊ってる映像がエンドレスで流れていて、それを見て『これがあの子が言ってた、あいりん(古川の愛称)かあ』と思って。歌って踊って、『青春してるな!』って思ったんです。ずっとバレエ一筋で、バレエの上達とか技術向上のことだけ考えて毎日過ごしていたので、みんなで1つのことをやる経験を、私は学生時代に一切やってこなかったな、青春してなかったなって。『私も青春したい!』って、うらやましく思ったのが応募のきっかけでした」

自信もあった。

「当時の私はすごくオーラがあったらしくて…(笑い)。だって地下鉄に乗ると、その車両のみんなが、私の方を見るんですよ!(笑い)。バレエをやっていて細かったし、髪形もオールバックとかで目立ったんですかね?(笑い)」

09年。18歳の時に、SKE48の3期生として加入し、アイドル人生がスタートした。ただ、持っていた自信は、すぐに打ち砕かれることになる。(つづく)