フランシス・コッポラ監督夫人で、ドキュメンタリー作家であるエレノアさんが撮った長編劇映画「ボンジュール・アン」(17年)にこんなシーンがあった。

米国人の監督夫妻がカンヌ映画祭にやってくる。妻はそこでバカンスを過ごすつもりだったが、突然夫に仕事が入る。妻は1人パリに移動し、そこに住む友人に会うことにする。そんな時、パリに向かう自分の車に同乗しないか、と申し出るのが夫の仕事仲間の仏人男性だ。妻は乗り気になるが、夫はいい顔をしない。

「あなたの友だちなんだから安心でしょ」

「いや、あいつはフランス人だから」

夫はその男性が「フランス人」だから、見境なく友人の妻ともアヴァンチュールを楽しもうとするのではないか、と気をもむのである。エレノアさんの作品は実体験をもとにしているので、これはコッポラ監督が実際に抱いた疑念をそのまま織り込んでいるわけだ。

日本では「イタリア人男性」にこれに似た感覚が抱かれているように思うが、どうやら米国では男性、女性を問わずにフランス人をそのイメージに当てはめている。

そんなことを思い出したのはフランスを舞台にした「今宵、212号室」(6月19日公開)のヒロインが、日本の感覚で言えばセックス依存症と思えるくらい奔放だからだ。

演じるのはキアラ・マストロヤンニ(48)。父はマルチェロ・マストロヤンニ、母はカトリーヌ・ドヌーヴという最強の伊仏ハーフだ。司法・訴訟史を専門にする大学教員のマリア(キアラ)は結婚20年になる夫リシャール(バンジャマン・ビオレ)とはすっかり「家族」になってしまっていて刺激がない。ある夜、夫の目を盗んで重ね続けた浮気がばれてしまう。

「お互いさまでしょ」

「いや、おれは1度もそんなことしていない」

怒りの収まらない夫と距離を置くため、マリアは2人が住むアパートの向かいにあるホテルに退避する。ホテルの1階は映画館になっていて、生々しい話はそのイルミネーションで、一転ファンタジーの雰囲気を帯びてくる。

ホテルの部屋に突然20年前の夫(ヴァンサン・ラコスト)が訪ねてきたり、その初恋の女性(カミーユ・コッタン)も絡んでくる。さらには数十人に及ぶマリアのこれまでの浮気相手も現れる。一方では、窓越しに頭を抱えて落ち込む現在の夫が…。「魔法の一夜」はどんどんこんがらがってくる。

脚本も手掛けたクリストフ・オノレ監督はこまめな場面転換で、生々しい夫婦の問題をファンタジーにくるんで、こちらを引き込んでいく。マリアは「20年前の夫」ともしれっと関係を結んでしまうのだが、背徳感はない。これも本能と割り切っている。

脱ぎっぷりという言葉とはちょっと違うキアラの自然体で、マリアの行動には総じて肯定感がある。「尻軽女」のそしりをはねのける、不思議な力がある。

「愛」とは何かという普遍のテーマをたどりつつ、そればかりにはくくれないはみ出したところがこの映画の魅力になっている。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)