今年のノーベル文学賞は日系英国人作家カズオ・イシグロ氏に決まった。イシグロ氏の作品は日本でも早川書房から出版されているけれど、舞台化された作品が2作ある。

 14年の蜷川幸雄氏演出「わたしを離さないで」は多部未華子、木村文乃が出演した。もう1つは15年の小川絵梨子氏演出「夜想曲集」で、東出昌大、安田成美が出演した。

 蜷川氏は、今年の受賞が期待された村上春樹氏の作品「海辺のカフカ」を藤木直人、宮沢りえ主演で蜷川氏の生誕80周年記念公演として12年に初演。再演ではロンドン、ニューヨークと海外公演を行い、イシグロ氏も観劇している。

 イシグロ氏は80年代に英国に進出した蜷川演出の舞台「NINAGAWAマクベス」を見て以来のファンだった。当時、英国で日本の話題と言えば、自動車やカメラなど「モノ」に関することばかりで、文化・芸術について語られることはほとんどなかった。そんな中、演劇の本場である英国で果敢に挑んだ蜷川舞台に、若手作家だったイシグロ氏も大いなる刺激を受けた。

 その後、蜷川氏のロンドン公演には欠かさず足を運び、蜷川氏もイシグロ作品のファンと公言していた。そして、08年の「NINAGAWA十二夜」ロンドン公演の時に初めて対面した。休憩時間のわずかな時間だったが、その後は蜷川氏がロンドンを訪れるたびに会う仲になっていた。その交流から生まれたのが、イシグロ氏の代表作「わたしを離さないで」の舞台化だった。

 さいたま芸術劇場で上演されたが、イシグロ氏も来日して観劇した。その時の感想を「舞台化されたことは一生忘れられないできごとでした。風にそよぐ寄宿舎のカーテン、いずこからか聞こえてくるカモメの鳴き声など、それは繊細かつ美しい舞台で、これまで経験したことのない感動を覚えました」と書いている。

 蜷川氏はシェークスピア、ギリシャ悲劇から現代作家の作品まで幅広く演出しているが、海外の現代作家と言うと、ノーベル賞作家ガルシア・マルケスの「エレンディラ」、英国の劇作家トム・ストッパードの「コースト・オブ・ユートピア」など数少ない。それだけに、亡くなる2年前、心身ともに衰えた時期にイシグロ作品を演出した蜷川氏には深い思いがあった。今回のノーベル賞受賞を、天国にいる蜷川氏はどういう思いで聞いたのだろうか。【林尚之】