敗血症のため61歳で亡くなった渡辺徹さんは生粋の舞台人だった。ドラマ「太陽にほえろ!」で人気者となり、バラエティー番組のMCなどで活躍したが、多忙な中でも毎年のように舞台に出ていた。最後となった仕事も、亡くなる3週間前まで出演していた舞台だった。

文学座の付属演劇研究所に18歳で入所した。当時の演劇界では宝塚音楽学校と並ぶ難関で、2300人が受験して入所できたのは60人だった。そこから座員として残れるのは1人か2人しかいないが、渡辺さんは33歳で座員に昇格した。

テレビ、映画で人気を得ると、劇団を離れるケースが多いけれど、渡辺さんは文学座一筋だった。渡辺さんは「若い頃、大物の俳優の方と共演した時、僕に文学座という看板があったおかげで優しく接してもらった」と、文学座に育ててもらったという感謝の思いが強かった。30代からさまざまな病気を抱え、舞台を降板することも何回かあったが、復帰して舞台に出るたびに「舞台がいとおしく感じられる」と、舞台愛を明かしていた。

私が渡辺さんの舞台を見たのは、84年の初舞台作品「マリウス」だった。それからほとんどの舞台を見ているけれど、喜劇からシェークスピア作品まで幅広かった。坂東玉三郎と共演した「夕鶴」の与ひょう、文学座の代表作を継承した「花咲くチェリー」の家族からも見放されたダメおやじのジム・チェリー、三谷幸喜作・演出「国民の映画」でナチスドイツのゲーリング元帥など、多彩な役柄を演じてきた。最後に見たのは今年2月の新橋演舞場「有頂天作家」。文学座の大先輩杉村春子さんのために書き下ろされた「恋ぶみ屋一葉」のタイトルだけを改めた舞台で、渡辺さんは一葉の師匠の作家涼月役だった。一葉への複雑な思いを内に秘めた役を見事に演じていた。年齢を重ね、演技に深みを増してきた渡辺さんの舞台をもっと見たかった。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)

ミュージカル「アリージャンス」の最終舞台稽古を前に記者の質問に答える渡辺徹さん(2021年3月撮影)
ミュージカル「アリージャンス」の最終舞台稽古を前に記者の質問に答える渡辺徹さん(2021年3月撮影)