タレントのあき竹城さんが亡くなった。75歳だった。

直接取材したのは1回だけだった。それも電話取材だった。10年ほど前、ある人の悼むコメントを事務所に依頼したところ、あきさん本人から電話が入った。15分ほど話して取材は終わったけれど、そこで1983年に公開された、あきさんが女優として出演した映画「楢山節考」の話になった。

今村昌平監督の作品で、緒形拳さんが主演し、カンヌ映画祭で最高賞のパルム・ドールを受賞した。あきさんは緒形さん演じる辰平の妻玉やん役。そのロケは長野県小谷村で行われた。車で行ける道がなく、最寄りの駅から険しい山道を歩いて1時間半以上かかる集落がロケ地で、私も往復歩いて取材に出かけた。昔ながらの民家で1夜を過ごしたが、出演者は季節ごとに何回も歩いて通っていた。

その時は今村監督と緒形さん、山に捨てられる母親おりん役の坂本スミ子さんを取材し、あきさんの姿は撮影の時に眺めるだけだった。そんなロケ体験の思い出を話すと、あきさんはロケ仲間と親近感を抱いてくれたのか「今度、何か話を聞きたかったら、私の携帯に電話してよ」と、携帯番号を教えてくれた。あっけらかんとしたあきさんに正直驚いた。個人情報の取り扱いにナーバスになり始めた頃で、戸惑いもあったけれど、「いいよ、いいよ」という好意に甘えて、番号を登録させてもらった。

その後、電話する機会は1度もなかった。訃報を知って、事務所に電話したが、留守番電話だった。そのため、携帯に電話したところ、5回の呼び出し音の後に男性が出た。「あきさんの携帯ですか」と恐る恐る確認すると、「そうです。私はマネジャーです」との返答だった。本当にあきさんの携帯の番号だった。人を疑うことのないおおらか、優しさをあらためて感じ、あの山形弁の温かい声をまた聴きたいと思った。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)