仲代達矢さんを取材するため、東京・世田谷にある無名塾の稽古場「仲代劇堂」にはよく通いました。車で行くこともあったけれど、最寄りの駅から歩いていくのも好きでした。
途中にちょっとした坂があって、いつからか「無名坂」と呼ばれていました。坂を登り切ると、目の前に外壁を赤レンガで囲んだ美しい劇堂が建っています。その赤レンガは、英国の古城で使われていたものを船便で運んだ、仲代さんこだわりの壁でした。壁のプレートには仲代さんと亡き妻の演出家宮崎恭子さんの思いを込めた詩が刻み込まれています。「若きもの 名もなきもの ただひたすら駆けのぼる ここに青春ありき 人よんで無名坂」。
無名塾は、仲代さん、宮崎さん夫婦によって、1975年にスタートしました。養成所は数多くありますが、ここは学費が無料。採用は数人なのに、1000人を超える応募があったこともありました。仲代さんは1年の前半は映画、ドラマなど映像に出演し、後半は無名塾の稽古、公演に打ち込みました。映像出演で得たギャラは無名塾につぎ込みました。仲代さん夫婦は、宮崎さんの妹の娘を養女に迎えていますが、実は「子ども」がいました。仲代さんが31歳の時、宮崎さんが妊娠。出産を間近に控えた時、誤って階段から落ちて、流産しました。仲代さんだけが対面した子は、男の子で、鼻の形は仲代さんにそっくりだったそうです。
その後、実子に恵まれることはありませんでしたが、代わって、仲代さんを「父」、宮崎さんを「母」と慕う、役所広司、若村麻由美ら多くの演劇人を育てました。亡くなる5カ月前まで、現役俳優として出演した最後の舞台はブレヒトの「肝っ玉おっ母と子供たち」で、会場は夫妻が愛した能登にある演劇堂でした。俳優デビューから70余年、演じる「子供たち」を育て、見る「子供たち」を魅了した仲代さん。通夜・葬儀は、その思いが詰まった仲代劇堂で行われました。生前、「グランドフィナーレ」という言葉を、人生の最後を称する言葉としてよく口にしていましたが、まさに生涯現役を貫いた名優にふさわしい「グランドフィナーレ」でした。【林尚之】




