芸人は夜、腕を磨く-。

 経験は万事に通ず-。

 そんな話を昔、よく芸人さんから聞いた。先日、くしくも、大平サブローさん(61)が、14年1月に亡くなったやしきたかじんからの教えを話していた。

 北新地の帝王として知られたたかじんさんに、かわいがられていたサブローさんは「たかじんさんに北新地というものを教えてもらった」と言い、続けた。

 「店行ったら、お姉ちゃんがずらっと並んでんねん。『誰くどいてもええ。それがお前の力や』と。つまり、おもしろいこと言うとか、なんか魅力がないと、落とせんから」

 女性を口説き落とすには、当然、魅力がいる。気に入ってもらうよう、頭を使い、努力をする。それはそのまま、人を笑わせ、楽しませる芸人の仕事に生きる。いや、芸人の仕事と同じことということだ。

 サブローさんは「たかじんさんの北新地て、奥が深いというかね、全部(スターとしての力量に)つながっていくねん」と感慨深そうに振り返った。

 豪快な印象のたかじんさんだが、優しく、仲間思いでもあった。サブローさんは一度、吉本興業から独立。後に復帰している。報酬システムに不満を抱き、サブローさんは88年に退社。仕事がなく、困っていると、たかじんさんが、復帰への橋渡しをしてくれた。

 たかじんさんが亡くなったとき、サブローさんは「吉本に戻すために、たかじんさんが、偉いさんに土下座してくれた。なんかあったら、俺が責任とるから言うて」と言い、涙した。

 そのたかじんさんは、亡くなる直前、自身の寿命を悟ったのか、ある遺言もしていた。自身を実兄のように慕っていた遙洋子さんに「1人で俺の訃報を聞かすな」と願っていたそうだ。

 実際、遙洋子さんは「私、1人で聞いたらどうなるか分からんから、兄さん(たかじんさん)がそう言ってくれてたみたい。私、兄さんの携帯メールで(家に)呼ばれて。会いに行ったら…。最後まで、人の心配ばっかりしてた」と、言っていた。親族に呼ばれ、その場で訃報を聞かされたと証言している。

 実情はとても繊細な人だった。サブローさんは言う。「せやからかな。あんだけ毎晩、酒飲んで、タバコ吸うて。あの歌声やもんな」。希代のシンガーとしての天賦の才もあったたかじんさん。サブローさんは、そんなたかじんさんや、桑名正博さん、河島英五さんら、亡くなった「関西のレジェンド」が残した楽曲を歌いつなぎ、残していこうと企画ライブ「オオサカンホットミュージックナイト」を開くことを決めた。

 第1回は、11月24日にYES・THEATER(大阪市中央区)で開かれる。

【村上久美子】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)