名曲やヒット曲の秘話を紹介する連載「歌っていいな」第29回は、かぐや姫の曲をイルカがカバーして1974年(昭49)に大ヒットした「なごり雪」です。駅のホームを舞台に、若い男女の切ない別れの時を歌っています。発表当初、上野駅や東京駅などがその舞台なのでは、と言われましたが、曲を作った伊勢正三はまったく別の場所をイメージしていたそうです。

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「なごり雪」には英語のカバーバージョンがある。汽車で離れる距離感があるが、実はレールでつながっている、という思いが、この曲の詞のポイントなのだが、米国だけに、舞台は駅ではなく、長距離バスのターミナルになっている。米国では恋人との別離でわく共通イメージは汽車ではなく、バスなのだろう。さらに、米バージョンは、しんみりというよりは「じゃあね」と明るく別れる。その上で「ニューヨークで見る雪はこれが最後ね」とつぶやく。

「長距離バスはちょっとね…」。オリジナル曲を作詞・作曲した伊勢正三は苦笑する。「汽車は行ってしまっても、レールはつながっているんですよね。でも2人は離れていく。僕にとって、『駅』というのは、ハッピーな存在ではないんです。列車で離れる距離感の寂しさというのは、日本独特のものなのかも知れませんね」。

汽車に乗って、女が男のもとから去ってしまう。男はホームに残され、溶ける雪を見るしかすべがなかった。舞台は駅。地方に戻る女性ということで、北の玄関、上野駅を思い浮かべるファンは多い。

歌うイルカは「歌詞の風景に対して、何一つ考えたことはありません。主人公の男女のどちらかを思うことで、自分の思い入れが歌に入ってしまうから。私は傍観者。風景の一因を提供して、皆さんの心の中に駅があるのが一番いいと思うんです」と語る。

では、この駅は一体どこなのか。伊勢に尋ねた。「上野駅っていう人は多いですよね。でも、僕は大分の出身ですから、田舎に戻るっていうのは南の方角。南に向かう東京発のブルートレインなんです。今でもありますよね。学生時代、夜行列車をよく利用したんです」。思い浮かべたのは、故郷、津久見市のSLが止まる小さな駅。ホームには屋根もなく、上京する時に乗ったブルートレイン。いくつかの心象風景が重なり「なごり雪」が完成した。

「なごり雪」は74年3月に発売されたアルバム「三階建の詩」の中の1曲として収録された。前年73年に「神田川」がミリオンセラーとなり、一躍スターダムにのし上がったかぐや姫が再び世に問いかけたアルバムだった。

伊勢は、それまで作詞は担当していたものの、作曲は、この「なごり雪」が最初の作品。かぐや姫のシングル曲「田中君じゃないか」のモデルで、当時のディレクターだった田中迪さんは振り返る。「たしか伊勢さんの高円寺のアパートで聴かされました。それもトイレから飛び出すやいなや、ギターを取り出し、出来たから聴いてくれですよ。でも、イメージがすぐに流れる曲でした」。

名曲とは、得てして、そういうものなのかも知れない。イルカの「なごり雪」のアレンジを担当したのはユーミンこと松任谷由実の夫、松任谷正隆さん。当時の担当ディレクターだった佐藤継雄さんは、2パターンのアレンジを依頼した。「マンタ(=松任谷)が、最初のほうを弾いてくれました。僕はすぐに、もう1曲のほうはいいよと言いました。もう片方を聴いてしまうと、迷ってしまうと思ったんです。それぐらいいい出来でした」。

伊勢が作り、イルカが歌った「なごり雪」。その大ヒットは、それまで辞書に載っていなかった言葉を世の中に浸透させた。

そんな名曲となり、実は伊勢が困惑していることがある。「ライブって正直、調子が悪い時もあるじゃないですか。自分の歌なんですが、うまく歌えなかったらどうしようって、変に緊張してしまうんです」。【特別取材班】

※この記事は97年12月17日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。連載「歌っていいな」は毎週日曜日に配信しています。