花道から約10メートルの高さまで上がる宙乗りには危険も伴う。麻央さんは亡くなる6日前の6月16日のブログで「ブランコもまだゆっくり座っているのに。心配ですが、本人は飛ぶ気のようです」と心配しつつ、役作りのため白虎のお面を購入したことを明かすなど応援し楽しみにしていた。心配は尽きなかったが、舞台に出たいと言った息子の意志を尊重していた。

 誰よりも麻央さんに見てほしかった舞台だった。海老蔵は、麻央さん死去を報告した23日の会見で「見に行くことを目標としていた。心配で心配でしょうがないのではないでしょうか」と涙で語った。

 海老蔵はブログに連日、麻央さんが見守ってくれていると記しているが、思いは複雑だ。29日の朝も「歌舞伎座の大舞台で、空を飛ぶところは、見てほしかった…です」と胸中をつづった。別の日には、母を亡くしてすぐの勸玄くんにとって「酷な結果となってしまった」と揺れる思いを明かした。それでも2人で安全祈願をし舞台への意欲も新たにした。一緒に飛ぶ様子が、麻央さんに届くことを願っている。

 ◆成田屋 市川団十郎家の屋号。元禄歌舞伎を代表する初代市川団十郎が成田山新勝寺を信仰し、関係が深いことから「成田屋」と呼ばれるようになり、屋号の始まりとされる。初代団十郎は荒事を導入し、見えも始めた。以降、代々の団十郎は人気者として江戸歌舞伎をけん引し、7代目が市川宗家のお家芸として、「助六」「勧進帳」などを「歌舞伎十八番」に選定した。海老蔵の父12代目市川団十郎が13年に亡くなり、海老蔵が13代目団十郎を襲名する予定だが、その時期は未定。長男勸玄くんは15年に初お目見えしており、8代目市川新之助を名乗っての初舞台は、7歳となる20年が有力という。