数々の映画、ドラマ、CMで活躍した個性派女優樹木希林(きき・きりん)さん(本名・内田啓子=うちだ・けいこ)が15日午前2時45分、都内の自宅で、家族にみとられ亡くなった。75歳。16日、自宅で通夜が営まれた。13年に全身がんを公表、先月13日には左大腿(だいたい)骨を骨折し、手術を受けた。夫は歌手内田裕也(78)、長女内田也哉子(42)の夫は俳優本木雅弘(52)。30日に東京・南麻布の光林寺で本葬儀が営まれる。

希林さんは自宅で、也哉子、本木夫婦、孫でモデルUTA(20)、玄兎君(8)に見守られて息を引き取った。以前から「最期は自宅で」という希望を持っていた。先月13日に左大腿骨を骨折し入院、同15日に手術を行ったが、亡くなる前日の14日午後、本人の希望で、也哉子が付き添って自宅に戻った。しかし、同日夜に容体が急変したという。

この日は親族だけで通夜が営まれ、和田アキ子、リリー・フランキー、木村拓哉、工藤静香夫妻らが弔問に訪れた。本木の事務所関係者は「ご家族は毅然(きぜん)としていらっしゃいます」と話した。

希林さんは04年に乳がんが見つかり、翌年1月に右乳房を全摘出。しかしその後、希林さんによると全身13カ所にがんが転移したという。13年、日本アカデミー賞で最優秀主演女優賞に輝いた壇上で「私は全身がん」と衝撃の告白をした。鹿児島のクリニックで治療を受け、ここ数年は映画を中心に仕事を続けてきた。

最近は体調がすぐれず、映画の舞台あいさつなどでは、舞台裏で車いすを使うこともあったという。今年5月、出演映画「万引き家族」が出品されたカンヌ映画祭に希林さんも現地参加したが、体調のことを知る関係者は「渡航するのが難しいと思っていたので驚いた」と振り返った。

本木は先月30日に出席したイベントで、大腿骨骨折後の希林さんが、一時危篤に陥ったことを明かした。本木は「気管支が弱く、がんの影響もあって肺のあたりが弱っている」と説明。危機を回避した後は意識もあり落ち着いたが、声が出ないなどの不自由があることも話した。

本木は、イベント前日に希林さんが描いたメッセージも紹介した。垂れる糸にぶらさがっている自分を描き「細い糸1本でやっとつながってる 声一言もでないの しぶとい困った婆婆です」との言葉があった。

公に向けての最後の肉声は、先月16日にゲストで出演予定だったNHKBSプレミアムの生番組「大中継! にっぽんのお盆」への電話出演だった。骨折を報告した希林さんは、お盆の番組にちなみ「私が送られる側になるところでした」。最後の最後まで、ユーモアを忘れなかった。

映画やドラマでの演技、歯に衣(きぬ)着せぬ発言、老いや病を受け入れ生きる生き方、すべてが規格外だった。夫内田との40年以上に及ぶ別居生活も、芸能マスコミから注目されてきた。演技も私生活も、「個性派」という凡庸な言葉では収まらなかった希林さんの人生だった。

◆樹木希林(きき・きりん)本名・内田啓子。1943年(昭18)1月15日、東京都生まれ。父は薩摩琵琶奏者。61年に文学座研究生に。当時の芸名は悠木千帆。64年、TBS系ドラマ「七人の孫」で演じた東北弁のお手伝い、おとしさん役で注目され「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」など出演。73年10月に内田裕也と再婚。77年改名。映画代表作は「つる-鶴-」「歩いても歩いても」「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」「万引き家族」など。郷ひろみとデュエットした「林檎殺人事件」は大ヒットした。フジカラーCM「美しい方はより美しく、そうでない方はそれなりに写ります」は流行語に。08年に紫綬褒章、14年旭日小綬章受章。