今年6月から体調不良で休演が続いていた漫才師、宮川花子(65)が11日、大阪市内で会見し、血液のがんの一種である症候性多発性骨髄腫で闘病中であることを発表した。この日は車椅子で出席。一時は「余命6カ月」の可能性があると指摘されていたとも明かした。現在は、奈良県内の病院で入院加療を続けながらも、本格リハビリに入っている近況も報告した。

花子は昨年3月、寛平マラソンに参加後、3日後に腰の痛みを訴え、病院で検査したところ、背中に腫瘍があり「転移なら余命6カ月」と診断されていたという。ただ、これについては、別場所にできたがんの転移ではないと判明し、余命宣告は間違っていたことが翌日には分かっていた。

ただ、この時点で第2、第5腰椎に腫瘍がみつかり、放射線治療が奏功。しばらく状態は落ち着き、仕事も続けていたが、今年1月ごろから不調が続いた。

体の状態を検査すると、状態が悪化していることから、この日、会見に同席した奈良県立医科大学付属病院の天野逸人医師(58)に相談。投薬治療を進めながら、仕事を継続できるよう、大阪市内のクリニックを紹介された。

ところが、抗がん剤治療による化学療法の副作用を説明され、花子は「踏ん切りがつかなかった」。かつて胃がんを克服した花子だが、夫の宮川大助(70)も「姿形が変わってしまうと、漫才も続けにくい」とし、迷い続けていた。

それでも、4月ごろから車椅子生活になり、6月には両足のしびれが進み、下半身不随の状態に。6月24日に倒れ、救急搬送された。当時は、第3胸椎に7センチ、眼球付近に5センチと、全7カ所に腫瘍が見つかり、抗がん剤治療もスタート。右目上の腫瘍の影響で、大助によると「右眼の眼球が飛び出しているような状態」だっという。花子は休養に入り、治療に専念した。

入院後は、弟子にも病名を告げず、桂文枝ら先輩芸人からの心配にも「骨折で入院」とだけ告げていた。入院当初は「命の危険」もあり、花子は「大助君が毎朝、来てカーテンを開けてくれる。そのたびに『起(生)きとかな』と思って、毎晩寝るのが怖かった」とも吐露。現在は腫瘍が消失し、治療もひと段階した。

このため、歩行の目標に向かい、本格リハビリを開始。当初は天野医師も「神経が通ってこなければ無理かもしれない」と考えていた両足も、動かせるようになり、回復への道筋が見えたことから、会見を決意。花子は「私は漫才師、笑えない状態で会見したくなかった」と話した。

この日、半年ぶりに外出しての会見出席。花子は「首が回れへんのも腫瘍で骨が溶けてたかららしいし、そんなひどい状態やったのは、後で知った。最初に聞いてたら、あきらめてたかも」と言い、医師や大助らに感謝。大助も「病気は全部僕に、と神様に言っていたのに、つらかった。今回、2度目にほれました」と妻の頑張りを賞賛した。

花子は今後について「半年後ぐらい」と、復帰への目標を語り、リハビリは「若いイケメン医師に抱きついて」行っているため「歩行も5メートルが10メートルと、日に日に進んでいる」という。

右肩にできた腫瘍で字も書けなかったが、すでに克服し、大好きで得意な絵も描けるようになった。天野医師も「両足を動かせるようになったので、あとは低下した筋力を取り戻せば、漫才にも復帰できる。復帰させたいと思います」と約束。花子も「一足飛びではいかない。慌てずにいこうと思います」と話していた。