リモート勤務で外出もままならず、自宅でゴロゴロしながら原稿を書き、ネットでニュースチェックを余儀なくされる中でも、芸能ニュースは次々に起こってくる。

懐かしい日本テレビ系ワイドショー「ルックルックこんちは」の司会者だった、岸部四郎(シロー)さん(享年71)の訃報、山口達也容疑者(48)の逮捕と大きなできごとが相次いだ。

だが、個人的には少年隊の錦織一清(55)と植草克秀(54)が、年内いっぱいでジャニーズ事務所から退所を発表したのが一番の衝撃だった。08年の舞台「PLAYZONE」を最後にグループでの活動はなかったが、いつか東山紀之(53)と3人が歌い、踊る姿を見られると期待していただけに残念だ。

バブル世代にとって、少年隊ほど思い出深いジャニーズのグループはない。平成の初めの頃は芸能記者という商売柄(?)、年間80回くらい夜の会合を持っていた。つまり「合コン」だ。合コン、合コン、雨、合コン、雨、雨、合コン、雨、合コン…という感じだ。赤プリのスイートルーム、道玄坂のプールのあるホテル「P&A」…と一次会の場所に凝りまくったが、勝負どころは2次会。そうカラオケだ。

昭和の時代になくて、平成の時代に出現したのがカラオケボックス。芸能人御用達の「フェスタ飯倉」、六本木「しゃらら亭」からチェーン店まで“男子チーム”が歌いまくったのが少年隊だ。

合コンで初対面の男同士が、仲良くなれるかは少年隊の「仮面舞踏会」を一緒に歌ってみれば、すぐ分かるという時代だった。むしろ、女子と仲良くなるのをほったらかしにして、歌いまくっていた(笑い)。

フォーリーブス、たのきんトリオ、シブがき隊の時代を経て、少年隊は85年に「仮面舞踏会」でデビューした。楽曲の完成度、ダンス、そして3人のバランスと最高のグループだった。「SMAP」「KinKi Kids」など、後輩グループにも大きな影響を与えた。デビュー前の83年にジャニーズ少年隊(当時)のニッキ(錦織一清)がバック転する「メンソレータムキャンパス薬用リップ」のCMを見たときの衝撃は忘れられない。

88年に発売された、カラーCDのベストアルバム「BESTOF少年隊」は、わが生涯で出会った最高のCD。社会人になってから車を5台乗り継いだが、必ず積んでいる。「君だけに」「stripeblue」「ABC」「デカメロン伝説」、そして「バラードのように眠れ」と持ち歌も多い。

幸いにして少年隊の名前は残るが、もうステージを見る事も、新曲が発売される可能性もなくなってしまった。それでも、ファンとして歌い、踊り続けていこうと思う。