歌手の小金沢昇司(62)が11月28日に道交法違反(酒気帯び運転)容疑で逮捕された。同30日午後に警視庁東京湾岸署から釈放され、「すみませんでした」と深々と頭を下げた。その後、マスコミ各社にファクスでコメントを出し、「今後の芸能活動につきまして、謹慎自粛いたします。今回のことを深く反省し、日々気持ちを引き締めて生活していきたいと考えております。誠に申し訳ございませんでした」と、あらためて謝罪した。

警察署前で、頭を下げて謝罪する芸能人の姿を、今年も何度見ただろうか。夢や感動を与え、新型コロナウイルス感染症が猛威をふるう今年は勇気と希望を与えてくれるはずの人々の、見たくない姿である。

小金沢は神奈川県大和市でラーメン店などを営む家庭に育った。16歳で出前の手伝いのために、大型二輪の免許を取った。藤沢街道を江の島まで何分で走れるかを、仲間と競った。ローリング・ストーンズや、キャロルの矢沢永吉を聴く青春だった。家業を継ぐため調理師免許を取ったが、夢は歌手だった。22歳の時に父に「料理の修業に出る」と言って上京。東京・新宿の歌舞伎町でクラブの調理場で働きながら、音楽学院に通った。

しばらくして、歌舞伎町の新宿コマ劇場の看板で見た北島三郎に引かれた。「あこがれてというより、日本で一番すごい歌手のところに行かなければ、もう(歌手は)だめなんじゃないかという思いだけでしたね」と話した。北島音楽事務所の近くの公園で三日三晩野宿して訴え、弟子入りを認められた。25歳だった。付き人兼運転手の日々が続いた。

29歳とデビューは遅かったが、4年後の92年に、のど薬「フィニッシュコーワ」(興和)のCMで「歌手の小金沢くん」として大ブレークした。師匠の北島は「どんなに俺の弟子だろうが、この世界は本人に運がないとダメなんだ」と言ったという。

14年に、付き人時代も含め約30年在籍した北島音楽事務所から、のれん分けの形で独立した。小金沢は「今後も、私にしか歌えないような歌を届けていきたい。そのためにもオヤジ(北島)の言っていた『運』をもっともっと活用しなくてはいけないと思う」。

苦労の末につかんだ華やかな歌手の座を、「運が尽きた…」と手放すのはむなしい。小金沢くん時代から知る記者として、心からそう思う。【笹森文彦】