女剣劇のスターで、女優の浅香光代(あさか・みつよ、本名北岡昭子=きたおか・しょうこ)さんが13日、都内の病院で膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった。92歳だった。

関係者によると、10月に入院したが、同月上旬には12月22日放送予定のNHK-BS番組の取材を受けるほど元気だったという。コメディアンの世志凡太(せし・ぼんた)とは事実婚状態だった。

浅香さんは18年5月に都内のホテルで「卒寿を祝う会」を行い、萩本欽一、山東昭子さんらの前で元気な姿を見せ、同年12月には、ノンフィクション本「全身芸人」の刊行記念トークイベントに出席。世志は「浅香光代の6番目の亭主です。一緒に暮らして28年目。3つ違いのはずが、実は6つ違った」と笑いを誘えば、浅香も得意とする歌謡浪曲「一本刀土俵入り」の一節を披露していた。

浅香さんは戦時中の1942年(昭17)に14歳で剣劇一座の「浅香光代一座」の座長となった。のみ込みのいい早熟な才能を認められたもので、大江美智子らとともに「女剣劇」ブームを巻き起こし、劇中で太ももをちらりと見せる「チラリズム」の演出も人気があった。

戦後は、激しい立ち回りもあって、多くの観客を集め、後にてんぷくトリオを結成した三波伸介、戸塚睦夫らも一時在籍した。女剣劇の衰退とともに、女優としてドラマ「加奈子」「七色とんがらし」や映画「サチコの幸」「晴れ、ときどき殺人」などにも出演するようになった。

バラエティー番組にも登場し、99年には野村監督夫人の野村沙知代さんと、互いに批判合戦する「サッチー騒動」を起こし、各局のワイドショーでも盛んに取り上げられた。また、14年には女性誌に「20代で出産した隠し子がいる」ことを公表し、その父親についても「既婚の政治家で、首相を歴任した人物(故人)で、子供にも名前を明かしていない」と衝撃告白をしたこともあった。

◆浅香光代(あさか・みつよ)さん 1928年(昭3)2月20日、東京生まれ。9歳で劇団に入り、14歳で「浅香光代一座」を結成。女剣劇全盛の中心メンバーに。映画やドラマにも出演し、バラエティー番組でも活躍。愛称はミッチー。09年に旭日双光章。