竹中直人(65)が3日、都内のTOHOシネマズ日比谷で行われた、山田孝之(37)斎藤工(39)との共同監督映画「ゾッキ」公開記念舞台あいさつ後、取材に応じ、3月24日に老衰で亡くなった田中邦衛さん(享年88歳)を悼んだ。

竹中にとって「小学1、2年から見ていた、ずっと憧れの存在」で、1987年(昭62)の映画「私をスキーに連れてって」で唯一の共演を果たした。竹中は敬意を込めた得意のモノマネを交え「邦衛さんが、自分の魂の一部にずっと刻まれている」と、かみしめるように語った。

竹中は小学生の頃から田中さんのファンで、当時から始めたモノマネを芸能人になってからも時折、披露してきた。「『若大将』シリーズの青大将を小学1、2年から見ています。あんな、たたずまいの俳優はいない。あんなしゃべり方する人もいないって、心の中にも刻まれていて、ずっと、ひかれていた。おしゃれさ…邦衛さんならではの服の着こなしと、サイドゴアブーツという靴を子どもの時、初めて知った。圧倒的テンションで、ずっと憧れの俳優ですね。憧れの人しか、モノマネはやっていないですから」と語った。

1987年の映画「私をスキーに連れてって」(馬場康夫監督)で1度だけ共演したことがある。田中さんが総合商社のスポーツ部でスキー用品を開発する元プロスキーヤーの田山雄一郎、竹中は部下の所崎を演じた。所崎は、田山が軽金属部に勤務する名スキーヤー矢野文男(三上博史)が田山とともにスキー用品「SALLOT」の開発を行っているのを「お荷物」と評するなど苦々しく思っており、3人がニアミスするシーンも出てくる。竹中は「1本、同じ映画に出演したことがあるんですけど、恐れ多い。それで共演なんて、言えないですよね。(共演とは)違いますね…。もっと、ちゃんと芝居でガッツリ、ぶつかり合いたかった」と振り返った。

その時以上に記憶に残っているのが、出演した96年の映画「Shall we ダンス?」を田中さんが絶賛してくれたことだという。都内の東宝の本社で取材を終え、エレベーターが1階に到着して扉が開いた瞬間、田中さんが立っていて声をかけてきたという。

「おぉ…竹中! 見たよぉ『Shall we ダンス?』、お前、最高だよ! 面白いな、お前」

竹中は田中さんの口調をモノマネしながら、賛辞を再現した。その上で「言ってくれたその瞬間に、いっぱいエネルギーをいただいた。僕を、ものすごく受け入れている感じの邦衛さんのメッセージが、今も焼きついていますね。邦衛さんが自分を認めてくれたという意識があった」と昨日のことのように熱く語った。

それが田中さんと会った最後になったという。竹中は「もう25年くらい前じゃないですか? それが、最後です。本当に縁がなくて、ほとんど共演がなかった…それ以上ないので、とても残念ですね」と田中さんの死を惜しんだ。願っていた2度目の共演はかなわず。「共演が、それ以上、出来なかったので…今更、それを言ってもしょうがないことなので」と自らに言い聞かせるように語った。

その上で「邦衛さんの存在は、ずっと憧れの存在として僕の心の中に刻まれている。自分が芝居をやっている時でも、どこかに邦衛さんの魂の一部が、ほんのちょっとでも常に存在しているという感覚がありますね。田中邦衛さんという存在が、自分の魂の一部に、ずっと刻まれているということですね」。竹中にとって田中邦衛さんは、この先もずっと憧れの存在であり続ける。【村上幸将】