上方歌舞伎を代表する女形として活躍した歌舞伎俳優で人間国宝の片岡秀太郎(かたおか・ひでたろう、本名・片岡彦人=かたおか・よしひと)さんが23日午後0時55分、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため大阪府吹田市の自宅で亡くなった。27日、松竹が発表した。79歳。葬儀・告別式は近親者で行った。

秀太郎さんは、13代目片岡仁左衛門さんの次男。兄が片岡我當、弟は同じく人間国宝の15代目仁左衛門で、上方の名門・松嶋屋の育ち。才能を見いだした片岡愛之助を自身の養子に迎えるなど、弟子の育成にも熱心で、関西歌舞伎塾の講師も務めていた。

46年に初舞台を踏み、56年に2代目片岡秀太郎を襲名した。柔らかみのある上方色の濃い女形として、「封印切」の遊女、世話物の女房、老け役まで幅広い役柄をこなし、上方伝統の女形を体現してきた。

上方の伝統を後輩に伝えようと、弟子の育成にも心血を注いだ。養子とした愛之助は、子役としてテレビ、舞台に出演していた当時、その素質にほれ、一門の部屋子とし、行儀・作法から芝居までを学ばせ、後に自身の後継とすべく養子に迎えた。

愛之助は大阪府内の一般家庭の出身だったが、歌舞伎界で頭角を現し、テレビでも活躍。舞台でも、従来の枠にとらわれない斬新な演出も取り入れるようになり、各所で才能を発揮した。斬新な舞台演出をした愛之助に、秀太郎さんの弟、仁左衛門は苦言を呈することもあったが、秀太郎さんは温かく見守り、藤原紀香との京都での挙式では、にこやかな笑顔で祝福した。

愛之助もかつて「父に声をかけられなかったら、歌舞伎の世界に入ることもなかった」と感謝していた。