フジテレビ系トークバラエティー「はやく起きた朝は…」(日曜午前6時30分)は、今年4月に前身から29年目の放送に突入した。プロデューサーを務めるのは、同局「オレたちひょうきん族」の“ひょうきんディレクターズ”の三宅デタガリ恵介としても知られた、三宅恵介エグゼクティブディレクター(73)。テレビ業界歴52年目の三宅さんに、あれこれと聞いててみた。

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三宅さんは1988年(昭63)から16年間にわたって放送された、明石さんま(66)が“先生”を務めるトークバラエティー「あっぱれさんま大先生」シリーズの演出を担当した。さんまと“生徒”の子供たちの“対等な絡み”が長寿の秘訣(ひけつ)だった。

「いろいろな番組が、いろいろな流れで出来てきた。さんまさんでいうと『オレたちひょうきん族!』をやっている時に、子供の扱いが実に面白い、うまいと思っていたんです。実は『あっぱれさんま大先生』の企画を持ってきたのは、女優の岸田今日子さんなんですよね。僕は74年に放送された岸田さんが司会のトーク番組『喜びも悲しみも』のチーフADをやっていて接点があったんです」

劇作家岸田國士の娘で文学座出身の岸田今日子。06年に亡くなった大女優が、さんまに持ってきた1本のカセットテープが人気シリーズ誕生のきっかけだった。

「岸田さんが、さんまさんに1本のカセットテープを持ってきて『これ、昔のラジオ番組なんだけど、面白いのがあるのよ』と。10分くらいのトーク番組なんだけど、司会が(喜劇俳優の)三木のり平さんで、当時幼稚園の中村勘三郎さん、先代の勘九郎さんが出ていた。その小さな勘九郎ちゃんに、のり平さんがいろいろなことを聞くんだけど、生意気で梨園(りえん)に育っているから、普通の子供じゃない感覚でしゃべるのが、実にうまかったんですよね。のり平さんも、それは違うだろとか言わないで『へー、そうなの』と。それを岸田さんが『面白いのがある』ってテープを持ち込んで、さんまさんから『三宅ちゃん、これ聞いて』って渡された。聞いたら面白い、これやりましょうってなって、岸田さんにも、これをやりますといって生まれたのが『あっぱれさんま大先生』でした」

大女優からつながった、思わぬ縁で誕生したバラエティー番組。

「それで、『あっぱれ-』に出ていた前田愛ちゃんが、今の勘九郎さんと結婚する時には、さんまさんと『縁だね~』って。さんまさんと先代勘九郎の勘三郎さんは同い年で仲が良かった。さんまさんの元奥様の大竹しのぶさんも、仲が良かったんです。だから『ひょうきん族』の楽屋に、今の勘九郎さんと七之助さん、2人の兄弟が小さい時に、よく遊びに来て、さんまさんの楽屋でサッカーをしたり、よくいたずらしていたんです(笑い)。それが前田愛ちゃんと結婚するなんて。そういうつながりがあるんですよね」

三宅ディレクターは、毎年クリスマスの時期に放送される「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」の演出を、90年から今なお続けている。

(続く)

◆三宅恵介(みやけ・けいすけ) 1949年(昭24)2月5日、東京都生まれ。慶大経済学部卒業後、71年にフジポニー入社。「欽ちゃんのドンとやてみよう!」「笑っていいとも!」「ライオンのいただきます」「タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフ」「あっぱれさんま大先生」「ライオンのごきげんよう」などのディレクターを務める。80年フジテレビに転籍。81~89年の「オレたちひょうきん族」では「ひょうきんディレクターズ」の「三宅デタガリ恵介」としても活躍。90年からクリスマス深夜放送の「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」では、今も演出を務める。04年4月スタートの「はやく起きた朝は…」(日曜午前6時30分)では番組開始からプロデューサー。09年の定年退職後もフジテレビに嘱託のエグゼグティブディレクターとして在籍。千代田企画社長。