最近まで交流していた人が突然、この世を去ってしまった現実を、いまだに受け止めきれないでいる。映画「新聞記者」や「ヤクザと家族 The Family」などを製作した、スターサンズ代表の河村光庸さんが11日、心不全のため急逝した。72歳だった。

訃報を同社が発表したのは13日。その1カ月弱前の5月17日に、記者は河村さんと話をしていた。最新プロデュース作「ヴィレッジ」(23年公開予定)の製作の一報を同19日に解禁するにあたり、追加情報と撮影の状況を確認するためだった。

「ヴィレッジ」は「新聞記者」「ヤクザ-」の藤井道人監督が監督&脚本を、横浜流星(25)が主演を務める。オリジナルの脚本は環境問題、産廃問題、限界集落、若者の貧困など、社会性の高いテーマが織り込まれ、サスペンス・エンターテインメント映画になると聞いていた。河村さんは、5月中に撮影が終了すると語り、予定通り5月末に終わったと人づてに聞いたが、河村さんとの会話は、その時が最後となった。

河村さんと言えば、やはり近年では、東京新聞の望月衣塑子記者の同名著作を原案にし、19年6月28日に公開された「新聞記者」が代表作と言えよう。公開直後の7月4日、参院選が公示されたことを受けて社会面で始めた「私の視点」と題した参院選の企画に、ご登場いただきたいとオファーした。当時、河村さんは体調が悪く入院していたが、映画の宣伝担当者から退院する方向と聞いての打診だったが、断られた。

どうしても諦めきれずに打診し続け、5回目にようやくOKをいただいた。取材を受ける条件は

「『新聞記者』は政権を批判している作品などと言われているが、あくまで社会派エンターテインメント。そこを踏まえ、きちんと取材し、書いてくれるなら」

だった。取材の冒頭で

「映画『新聞記者』は、若き女性新聞記者と内閣情報調査室の官僚が対峙(たいじ)し、葛藤する姿を描きました」

と、あくまで政治を舞台として描いた人間ドラマだと強調。その上で

「6月28日を初日にしたのは、参院選が行われる“政治の季節”にぶつけようと狙ったから。企画したのは2年以上前ですが。当初から現政権の体質がすごく強行的に強くなっていた。右傾化ではなくて一元化し、それが独裁化していくと予見しました」

と説明した。

当時の安倍政権は、森友学園への国有地売却問題、加計学園の獣医学部新設に関わる問題が取りざたされた、さらに参院選前には、金融庁の審議会で老後に資金が2000万円必要との報告書が作成されたことも大問題になっていた。河村さんは

「普通だったら政権がひっくり返るレベルのことが、連続的に起きていながら官邸は、ほぼ無視。でも選挙には勝ってしまう…エラい時代ですよ。なぜか? メディアが取り上げないから。メディアと政権との関係も一元的になっている」

と政権とメディアを痛烈に批判した。

19年には「宮本から君へ」を製作も、出演者のピエール瀧が麻薬取締法違反容疑で逮捕されたことを受け、文化庁所管の独立行政法人「日本芸術文化振興会」(芸文振)が助成金交付内定後に不交付を決定。その行政処分の取り消しを求めて訴訟を提起。日本映画史上、初めて表現の自由を問う行政訴訟、つまり国を訴えた裁判となった。1審の東京地裁は21年6月21日、不交付決定処分の取り消しを命じる判決を下したが、今年3月3日の控訴審で東京高裁は1審判決を取り消しスターサンズの請求を棄却。河村さんは上告の方針を示した。

河村さんは、文化庁が不交付を決定した「公益性の観点から適当ではないため」という理由について「文化芸術における公益性とは何か、一歩譲って公益性とは何かについては一言も言わず、よく分からないことを言っている」と疑問を呈し続けた。会見ではさらに、こうも語った。

「『新聞記者』は、テレビでは一切、話題にされていない。映画という表現が、いろいろな形で重苦しく、こういう映画を作っていいものか、テレビでプロモーションとして使ったりするのが、まずいんじゃないかということになっているのではないか? 為政者の重苦しい空気、そのものがメディアにまで浸透している気がしてならない。それを忖度(そんたく)、同調圧力と称するのだと思う。何とも言えない不自由、不寛容の空気が、日本に怪物のように横たわっているのじゃないか? 助成金も最終的には補助金を使っているわけですから、我々のお金。そういったものに対し、国が忖度(そんたく)、他の理由でこういったことを全てやるのは尊大。映画は自由の最後のとりでです」

河村さんは、自身の映画作りのあり方について

「体制、社会のあり方にアンチでなければいけないというのが、私の映像制作のスタンス。今の現状を肯定していくことでは文化、芸術は発展しないだろうというのは、歴史を見ても明らか」

と語った。ただ2人きりで話すと、もっとシンプルに裁判の意図を語った。

「このままだと、作り手は企画を立てる際、どうしたって助成金の申請が通りやすいものを考えるようになる。今回の裁判に我々が勝たないと、後の映画人が作りたい映画を作ることが出来なくなるでしょう?」

河村さんは、どうしても社会派だったり、政治に対して、ものを言うプロデューサーと見られがちだった。ただ、フィルモグラフィーを見れば、エンターテインメント性が高い作品も名を連ねる。17年の「あゝ、荒野」は、寺山修司が残した唯一の長編小説を原作に、菅田将暉と韓国の俳優ヤン・イクチュンがダブル主演したボクシング映画だ。「宮本から君へ」も、テレビ東京系で18年4月期に放送された、連続ドラマを映画化した作品だ。

20年の「MOTHER マザー」は、実際に起きた少年による祖父母殺害事件に着想を得たヒューマンドラマで、ゆがんだ愛情を息子に注ぐ母を演じた、長澤まさみが新境地を切り開き、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞と日刊スポーツ映画大賞で主演女優賞を獲得した。また「ヤクザ-」も、綾野剛演じるチンピラがヤクザに殺されかけたところを、舘ひろし演じる組長に救われ、極道の道に踏み込んでいった。その半生を家族愛を軸に、生きにくくなっている現代のヤクザ事情まで込みで描いた。

また20年には、製作を予定していた劇映画「保育士T」がコロナ禍で頓挫。すると、主演の志尊淳と有村架純の人気者2人に、コロナ禍の街の若者や保育士、農家などエッセンシャルワーカーと呼ばれる職業に従事する人々に話を聞く、取材者に挑戦するよう提案し、結果、ドキュメンタリー映画「人と仕事」を作り上げ21年に公開した。

何より、新進気鋭のクリエイターの1人として知られていた藤井監督に「新聞記者」の監督を任せ、日本アカデミー賞最優秀作品賞、日刊スポーツ映画大賞作品賞受賞などにより飛躍させた功績は大きい。藤井監督は3月4日公開の「余命10年」が興行収入30億円に迫るヒットを記録したが、河村さんが同監督を育てたという声は業界内に多い。藤井監督も16日に自身のインスタグラムに

「僕にとって紛れもなく恩人であり、映画の父であり、師であり、友でした。本当に無茶苦茶な人だったけど、あの人より映画に真摯で情熱的で、愛のある人を僕は知りません」

などと感謝の言葉をつづっている。

エンターテインメントと社会性の狹間を分け入って進み、表現方法含め映画館でしか楽しむことが出来ないものを作り上げたのが、日本映画界でも屈指の“戦うプロデューサー”として知られた河村さんの、本当の顔だったと記者は思う。

河村さんは、ここ1年、複数の現場で、さまざまな方に記者のことを紹介してくださった。その際、決まってつけた枕ことばが

「日本で1番、ヤバい映画記者」

だった。

「この人、どこでも忖度(そんたく)なしで切り込んで最前線で取材するんだよ。映画、好きなんだよ」

そう、笑いながら口にする河村さんからは、複数の映画の企画が進行していると聞いていた。

何かあれば、早朝から携帯電話が鳴り、大きく、力強い声で「村上さん!!」「映画、見た!!」と呼び掛けられた。その電話も、もうかかってはこない。最後になった電話で、河村さんは「ヴィレッジ」で、日本映画では真正面から描いてこなかった表現に挑戦したと言い「村上さん、頼む…頼むよ!!」と繰り返した。その言葉が連日、脳裏をこだまして、離れない。記者の心の中で、今も河村さんは生きている…そう思えるから、河村さんが動かしていた企画の行方を追い続け、その魂を伝えていこうと思っている。【村上幸将】