シンガー・ソングライター吉田拓郎(76)が、来月21日に5年ぶりに復活するフジテレビの音楽バラエティー「LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP」(午後8時)で、最後のテレビ出演をすることが24日、分かった。すでに、29日に発売するアルバム「ah-面白かった」をもって「52年のアーティスト活動にピリオドを打つ」ことを表明。音楽活動も共にした盟友、KinKi Kids堂本光一(43)堂本剛(43)とのラスト番組で、花道を飾る。

    ◇    ◇    ◇

拓郎さんは05年、日刊スポーツで連載「自分の事は棚に上げて」を担当した。毎週1回で全26回。締め切りに遅れたことは1度もなく、自筆の原稿を送ってきた。拓郎さんが「書きたいことがあるんだ」と希望して実現したが、本来なら担当者として、資料集めなどをやらねばならなかったが、記者にはそんな時間もなく、最後は、レコーディングに専念したいということで、連載は半年で終了した。それでも、拓郎さんから文句の1つもなかった。

拓郎さんはフォーク界のスターだ。伝説も数えしれない。70年代の安保闘争が終了しても反体制のシンボルであり続けた。それでも、72年の中津川フォークジャンボリーでは「結婚しようよ」を歌い、伝説の「帰れ」コールを浴びる。拓郎さんはそんな自分を悪びれない。「僕はバカだから、基本的に軽いんです。みんな僕を勘違いしていてね」と語っていた。

自身の楽曲はフォークじゃないし「神田川」は演歌とも語っていた。だが、個人的には反体制の矜恃は強く持っていたと思う。地方公演の際、地元の興行会社を使わず、トラックで機材を運ぶ現在のツアーのあり方を始めたのも拓郎さん。そして、日本の芸能界に風穴もあけた。77年、芸能界のトップに君臨する渡辺プロダクション所属のキャンディーズの楽曲制作依頼を受けた。拓郎さんは「その時にね、勝ったねって思ったよ」と語っていた。「やさしい悪魔」は大ヒットした。【竹村章】